英語5技能の時代に育てる「21世紀型思考力」とは?【後編】-加藤由美子-
「21世紀型」思考力を育てるために、今後日本の英語教育はどう変わっていくとよいのでしょうか。
前回に引き続き、毎年シンガポールで開かれる、RELC(地域言語センター)国際セミナーで得た知見をもとに、議論を深めるために大人も知っておきたいルールや、今後の英語教育について考察します。
大人も知っておきたい、議論の共通ルール
前回の話題に登場したケンブリッジ大学教育学部のメイサー教授は、教室内での「対話」を活性化し、「共に考える(interthink)」力を高めるために、生徒の発達や状況に合わせた共通ルールを設定する必要があると述べました。その基本的な考え方は次のようなものです。
- 1 参加者は、テーマと関連性のあることを発言する。
- 2 すべての人の意見は価値あるものと認めたうえで、批判的に評価する。
- 3 相互に質問をし合う。
- 4 理由を聞き、理由を答える。
- 5 合意に至れるように努める。
このルールは代表的なものですが、大切なことは、議論の参加者がそのルールに合意しておくことです。議論の参加者一人ひとりがこのルールを認識し、ルールから外れていると思ったらお互いに注意をし合います。教師は議長、司会者役であり、スポーツでいえば、ルールが守られているかをチェックする「審判」でもあります。状況によっては、生徒の一人が議長の役割を果たすこともできます。
たとえば1。テーマと違う方向に話がそれ始めたら、「この話し合いの目的は何だっけ」「その話は少しテーマとずれているから、今はこっちの話を先にしよう」など、話の流れを皆で修正していきます。
また、2「すべての人の意見は価値あるもの」ですから、参加者は皆同じくらいの時間を使って意見を出す責任と義務があるのです。企業や地域コミュニティーの会議でも、自己主張の強い人だけがいつまでも話していて、結局その意見が通ってしまうことがよくありますが、これでは「共に考える」ことになりません。
「批判的に評価する」とは、「価値あるもの」ですから、否定するのではなく、別の視点から見た時、その意見に補強すべき点はないか考えることです。そのため、相互に質問をし合い(3)、その意見の背景となる理由を聞き、答える(4)必要があります。「批判的」という言葉は、単なる「攻撃」であるような解釈をされる場合もあるので気を付けたいです。
互いに信頼し合い、チームとして合意に至るよう努める(5、6)ことで、議論は深まり、実りあるものとなるのです。誰かの意見を否定だけしたり、弱点だけを攻撃してつぶそうとしたりするのはルール違反です。このような原則をもとに、具体的なルールは子どもたち自身が決めるようにできれば理想的です。そうするとルールを運用する子どもにも納得性が高まるからです。
また、ルールを決めても、しばしば忘れられがちなので、毎回最初に確認する、紙に書いて壁に貼っておくなどの工夫が必要だといいます。
メイサー教授は「ケンブリッジ大学の教授会でも、ルールが守られず、めちゃくちゃになってしまうことがしょっちゅうです」と冗談めかしておっしゃっていました。
他者のアイデンティティーも大切にする‘I’の文化
前回述べたとおり、英語は「議論」「対話」に適した言語だと思います。
その一方で、英語での議論においては「自己主張が強い人の意見ばかりが通る」と思われているとしたら、とても残念です。
英語は常に主語‘I’を立てる言語ですが、他者の‘I’も自分と異なる視点を持つ、独立した存在として重んじる言語でもあります。それぞれの違いを認め合ったうえで、共に考え、合意をめざすことができるのです。
なお、英語で議論をするにはかなりの英語力がいると思われがちですが、まずは中学で習う程度の基本的な文構造を使えれば、議論することは十分に可能です。議論に必要な語彙(ごい)が足りなければ、そのテーマで使いそうな単語をあらかじめプリントして配ってあげてもよいし、辞書や参考書を使ってもよいのです。もちろん、大学の授業や仕事の場のように、より高度な活動における議論には、複雑な文構造や表現技法を身に付ける必要はあります。
「違う」ことにこそ意味がある
国際セミナーでは、さまざまな国や地域の人たちと話し合う機会がありましたが、一部のトップ層だけでなく、国民全体のレベルを引き上げてきた日本の義務教育制度の素晴らしさ、日本人全体の教養の高さや勤勉さ、ものづくりの技術力はやはり高く評価されていると実感しました。一方、日本人は、残念ながら、英語を話すことが全般的にあまり得意でないとも認識されているようです。
東南アジア諸国が国を挙げて英語教育に力を入れるのは、そのほとんどが多民族国家であるという事情があります。たとえばシンガポールは、中華系、マレー系、インド系とさまざまな人種が住む多民族国家であり、宗教も生活習慣もそれぞれ違います。そのため、公教育はすべて公用語である英語で行われています。国や組織の問題を解決するためには、異なる価値観を受け入れながら、対話を通して共に考える能力が不可欠なのです。つまり、英語力と対話の能力は切り離せない関係にあり、国内どこでも母語が通じる日本とは条件が違うのです。とはいえ、日本の社会も多様化しており、同じような価値観を持つコミュニティーの中だけで暮らすことはできなくなりつつあります。
一人ひとり、ものの見方や考え方は異なっており、違うことにこそ意味があります。異なる‘Point of View’を持つ人間どうしが対話することで、問題の解決策や新しい価値が見えてきます。‘I’の言語である英語はそれを学ぶのに最適な言語といえます。また、英語での対話を学ぶことで、日本語のやわらかさや奥深さ、繊細な情感の表現といったよさも、実感できるのではないでしょうか。
単なる「道具」としての英語学習を越えて、対話により「共に考える力」の育成をすることこそが、今後の英語教育の根幹になっていく必要がある--今回のセミナーを通して、そのようなことを強く感じました。