攻撃ではなく争いごとをおさめるために…空手道の奥深さとは?
空手に関してみなさんはどんなイメージをもっていますか? 力強く瓦を割ったり、なんとなく痛そうなイメージがあるかもしれません。ですが、空手道は学習指導要領にある他の武道に比べ、怪我の発生率が低く、安全な武道として知られています。(※スポーツ安全協会調べ)
争いごとをおさめる、空手道の奥深さを紹介
授業で取り扱う空手道は「基本の技」「形」「約束組手」が中心となります。約束組手は2人1組で行い、攻撃技、防御技、手順などあらかじめ決めておいて行うものですし、組手もノンコンタクト(寸止め)を採用し、安全面に配慮した内容となっています。ではそもそも空手はどのように日本に広まったのでしょうか。
琉球王国で生まれた空手
空手は琉球王国時代の沖縄で生まれた武道です。中国から伝来の技法を取り入れた憲法を「唐の手(てぃー)」と言ったことから「手(てぃー)」「唐手(からて)」さらに「空手」と変化したようです。17世紀初頭に琉球は薩摩藩の統治下に置かれ、武器の所持と使用を禁じられていました。そうした状況で、武器を奪われた民族が自己を守るために、秘かに素手による武術を進化させていったという説もあります。
琉球王国が滅亡すると、唐手を伝えていた琉球士族も没落し、唐手は存続の危機に。それを救ったのが糸洲安恒(いとすあんこう)です。糸洲は沖縄県の要請を受け、地域や指導者によって様々だった「手(てぃー)」を学校教育にふさわしいものに修正しながら、「唐手」の基本の枠組みをつくりました。唐手は学校教育に取り入れられ、明治時代後期には広く一般に公開されることになります。大正時代に入り、船越義珍(ふなこしぎちん)が京都武徳殿で演舞を行ったのが、空手を本土に公開した最初とされていますが、そのときは「琉球唐手術」として紹介されたそうです。その後、上京した船越は東京で日本初の空手道場「松濤館(しょうとうかん)」を開き、指導と普及活動を行いました。
空手に先手なし
空手の技術には基本技と形(かた)と組手(くみて)があります。基本技を構成して形または組手として実践していきます。形はあらゆる攻防の場面を想定しながら「突き」「打ち」「蹴り」の基本技を組み合わせて考案されたものです。形のほとんどは最初の動作が「受け」から始まります。これは「空手に先手なし」の基本理念を表しています。空手はけっして相手を打ち負かすのではなく、争いを制して謙虚に終局させることを念頭に置いています。それが空手道の素晴らしい理念なのです。