休み時間にひとりでいる子は「友達ができない子」? 我が子との関わり方は
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「ぼっち」と揶揄(やゆ)される場合があるように、我が子が休み時間にひとりで過ごしていると聞くと、保護者としては「友達ができないのではないか」と気になってしまうかもしれません。
休み時間の過ごし方を、コミュニケーションの観点から、トラストコーチングスクール認定コーチであり、3人の子どもの母でもある中原絵里子が一緒に考えたいと思います。
「ひとり時間=かわいそう」という思い込みを外す
私自身もそうでしたが、保護者世代の子ども時代には、休み時間にぽつんとひとりでいる子どもは「かわいそう」という目で見られがちでした。そのためお子さまが休み時間にひとりで過ごしていると聞くと、「友達ができないのだろうか」と心配になり、「友達と一緒に遊んでいる時こそ楽しい時間」と思い込みやすいもの。
でも、今は少し価値観が変わってきています。特にコロナ禍で学校や幼稚園・保育園が休みになる経験をしたことがあるお子さまは、疲れている時などはひとりになりたいと感じる場合も多いようです。
また、普段は友達と一緒に遊んでいるけれど、環境変化などで疲れていたり、たまたまケンカなどで一時的にひとりでいたりする場合もあれば、もともと性格的にひとりで過ごすことを好む場合もあります。
何も考えずにぼーっとしていたり、集中して本を読んだり絵をかいたりといった過ごし方を楽しいと感じているなら、それは本人にとって有意義で「楽しい時間」だといえます。「ひとりだからかわいそう」と思い込まないようにしたいですね。
「友達は多いほどいい」という価値観は薄らいでいる
その価値観の変化は子どもの世界でも浸透してきていて、ひとりを好むタイプもいることは周囲に理解されて受け入れられつつあります。つまり子どもの世界では「かわいそう」ではない場合が多いのです。
むしろ、「ひとりでかわいそう」だと思われないために、楽しくもない相手と一緒に過ごすことのほうがストレスになるでしょう。友達は多ければ多いほどいい、というわけではなくなってきているのです。
休み時間にひとりでいるからといって、必ずしも友達がいないわけでもなければ、うまく人付き合いできないとは限りません。
「ひとり」と「孤独」は別のもの
休み時間にお子さまがひとりで過ごしているとしても、「孤独」だと感じていなければ問題ないのです。
避けるべきなのは、「孤独」であること。孤独とは、仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。自分の思いを語り合って、心を通い合わせる人がひとりもいなく、寂しいことです。「話を聞いてほしい」と思った時に語りかけることができる相手がいれば、ひとりでいる時間があっても孤独ではありません。
また、圧倒的に最も多く会話をする相手は自分自身です。人間は脳内で一日に数万回自分に問いかけているそうです。そうした自分との会話が健全なものであれば、孤独ではないはずです。
もしもお子さまが孤独を感じているなら、「思うことを語ったり、心を通い合わせたりできる人がここにいるよ」と伝わるよう、寄り添ってあげてください。
今ひとりで過ごしているからといって、ずっと続くとは限らない
仮に今休み時間をひとりで過ごしているとしても、それがこれから先もずっと続くとは限りません。夢中で読んでいた本のシリーズを読み終えるなど、《ブーム》が終わればまた自然と友達と外で遊ぶようになる場合もありますし、数人で楽しめる遊びを見つけるかもしれません。お子さま自身が寂しい、つらいと感じているのでなければ、「今はそういう時なんだな」と見守ってあげましょう。
我が家の場合は、次男が中1の途中で転校してすぐのころは、休み時間に教室の中で過ごしていることが多かったそう。大きな環境変化になじもうとして、頭も体もかなり疲れていたようです。1か月もしないうちに慣れてきて、今では休み時間になるとバスケットボールをしにグラウンドに飛び出していくそうです。
そんなふうに、環境の変化があったり学芸会前で緊張したりしている時などに、一時的に「今はそっとしておいてほしい」と思うのも自然なこと。コンディションに合わせて自分で調整できていると思うと、成長を感じられませんか。
まとめ & 実践 TIPS
自分にとって気持ちがいいという関わりや場所に身を置きながら、必要に応じて周りともうまくつながる。こうした人との関わり方や距離感のバランスをとることは、お子さまにとってこれから非常に重要なスキルです。お子さまが自分で「今はひとりで過ごそう」と判断して心を休めているのであれば、成長できているということ。
保護者のかたも、「必要な時は話を聞くよ」という姿勢で落ち着いて見守ってくださいね。万が一いじめが疑われるなど、本人の意思に反してひとりにされている場合は、必要に応じて学校と相談しながら対応を検討しましょう。