武蔵中学2年生 糸藤太郎さんのお母さま

最初から御三家受験を考えていたわけではないが、本人が武蔵中学を強く希望。それならば、親としてサポートしていこうと決意。

武蔵中学を志望するようになったのはどうして? また、いつ頃からですか?

6年生になって初めて、開成と武蔵の文化祭に息子と行きました。私は、どこもあまり変わりがないように思えたのですが、本人は「武蔵がいい」と言うのです。理由を聞くと「川があるから」。確かに、武蔵は自然に恵まれていましたが、「それが志望理由?」って思いました。
実際には、各学校の校風の話などを塾の先生から伺っていたようですし、塾で時々OB・OGから話を聞く機会があるのですが、それも武蔵の先輩の雰囲気がいちばん良かったみたいです。

私は、最初にお話ししたとおり公立中高一貫校がいいと思っていたので、私立に関しては全く知識不足で、笑われるかもしれませんが、「武蔵と芝はどっちが難しいの?」というくらいでしたが、塾の面談で室長先生から、公立中高一貫校と私立の違いを伺い、私立をすすめられて、徐々に気持ちも変わっていきました。
すると私は息子の実力を考えるにつけ、なにも武蔵にこだわらなくてもいいという思いがあったので、麻布でも開成でもいいし、どうせなら筑波大学附属駒場を狙えないかと思うようになっていました。でも、息子は最初から最後まで「麻布と開成はいや。とにかく武蔵がいい」と言っていましたね。夫はそんなに本人が希望しているならと、武蔵の学校説明会に行き、その教育内容に納得して、「武蔵は良い学校だ」と言っていました。


併願はどのように考えましたか?

「武蔵は、たぶん上位で合格できるだろう」と言われていたので、併願校は特に見に行きませんでした。本人にも、「武蔵か筑駒がだめだったら、公立に行きなさい」と言っていたくらいです。
そうはいっても、第一志望は武蔵でいいとして、併願校をどう組み立てればいいか、全くわからなかったので、10月頃に室長先生に面談を申し入れて、併願計画を立てていただきました。そのとき、「さすが、これが塾の力だな」と思いました。
というのも、私は武蔵がだめなら、早稲田や慶応もいいのではと思っていたのですが、結果的には

1月10日 西武学園文理
1月14日 西大和学園
1月25日 立教新座
2月1日 武蔵
2月2日 巣鴨
2月3日 武蔵が不合格なら海城、合格なら筑波大附属駒場

という計画を提案されました。
理由は、武蔵の発表が2日なので、2日は当日発表の学校を受けてほしいということでした。万が一武蔵がだめでも、当日発表の巣鴨で合格を確認してから、海城を受けたほうがいいそうです。合格をとってから受験するのと、そうでないのでは気持ちが全く違うというわけです。それには、なるほどと納得して、室長先生のおっしゃるように決めました。
私も、子どもには「落ちたら公立!」とは言っていましたが、ここまでがんばったのだからその結果として受かった学校に行かせてあげたいし、学校選びは、東大に何人入ったかということより、学校の中身のほうが大事だと思っていました。


家庭でのサポートは何をなさいましたか?

先ほども少しふれましたが、うちは共働きなので、息子には小学1年生のときから、私が次男を保育園に迎えに行って帰るまで、一人で留守番もさせていたので、幼い頃から生活面でも自立していました。
受験に向けて、子どもに「お母さんにできることはない?」と聞いたことがあるのですが、「お弁当のおかずをもう1品増やしてほしい」と言われたくらいです。
塾のお弁当は、朝私が作って冷蔵庫に入れておいたのを、出かける直前に電子レンジで温めて持って行っていました。そのうち、ごはんは炊きたてを詰めたほうがおいしいということに本人が気づき、私はおかずだけを作って、ごはんはタイマーをかけておいて、本人が塾に行く前に弁当箱にごはんを詰めて持って行くようになりました。けれど、6年生の冬には、「9時過ぎでも、家に帰ってからごはんを食べたい」と言い出したので、そのようにしていました。

勉強も塾でほぼ完結していたので、親がどうこうするということはなかったのですが、6年生の11月に、最高では68、69を出していた偏差値が急に63~65に落ち込み、あきらかに中だるみ状態になったことがありました。
そのとき、夫がパソコンで大きなカレンダーを作って、それをリビングに並べてはりました。11月から2月まで、順番に日にちを斜線で消していくようになっていて、「武蔵受験日まであと○日!」と書いて、「あと3か月しかない!!」と視覚に訴えて、モチベーションを上げるようにしました。それからは、徐々に成績も元に戻りました。これには、予定も書き込めるようになっていたので、家族で入試日などの情報も共有できて、とても便利でした。

あとは、受験の出願や手続きをまちがえないようにと、それだけは強く思っていたのですが、実際は大変なことがありました。実は、出願の書類はお正月休みにまとめて書けばいいと思っていて、夫の母に「年末に帰ったときに手伝ってくださいね」と言ったら、「いいけれど、それで間に合うの?」と言われて調べたら、1月最初の受験校の出願締め切りがなんとその翌日だったのです。これには慌てましたが、なんとかギリギリセーフでした。武蔵のことしか頭になくて…、うっかり忘れるところでした。


実際の受験はどんな様子でしたか?

本番の入試も、平日私は仕事があるので、子どもだけで行かせました。もちろんルート検索はしておきましたが。しかし、そんな家は他にはなかったようで、塾が一緒のお友達のお母さまが、息子が一人で来たのでびっくりされて、一緒に連れて行ってくれたそうです。その後はお友達と約束して一緒に行ったようです。帰りにピザをごちそうになったりして、本当に周囲のお母さまがたにはお世話になりました。武蔵の受験には、夫が朝一緒に行ってくれました。
当日の昼過ぎに、私に電話をかけてきて「算数は満点かも!」と言うので、これは合格できたかなと思いましたが、2日の発表はやはりちょっと緊張しましたね。巣鴨の発表が先だったので、それを家族4人で見に行き、その後、夫と本人が武蔵の発表を見に行きました。合格していたので、次の日は筑駒を受験することにしましたが、その晩はとりあえずお祝いで、4人で食事に行きました。筑駒はだめだったので、これで私も夫も踏ん切りがつきました。


中学校の様子を教えてください。

武蔵は176人中約50人が日能研出身者なので、最初から仲間がたくさんいたということもあり、とても居心地がいいようです。
もともとなんでも積極的にやり、リーダーシップをとる子だったのですが、小学校の高学年になると、目立つことをいやがるところが出てきていました。でも武蔵ではそんな気を使う必要もありませんし。息子は硬式テニス部の活動に熱中していますが、中学高校時代は何かスポーツをやってほしいと思っていたので、私たち親も喜んでいます。
武蔵の全体的なタイプとしては、あらゆることに興味を示すというよりは、ひとつのことに熱心に取り組むタイプのお子さんが多いかな。中高時代は、とにかく好きなことに打ち込んで、将来につながる友人や学びに出合ってほしいと思っています。
お母さまたちとの交流の機会もあって、楽しいですよ。私は入学後に、中学は給食がなくて、土曜日も授業があるということを知ったくらいで、日常のこと、例えば提出物などを、他のお母さまからお聞きして助かっています(笑)。


最後に、これから受験を考えているかたへのアドバイスをいただけますか?

わが家は、たまたま恵まれていたのだと思います。しかしあくまでも、受験は本人次第。子どもによっては、その才能が開くのはもっと先かもしれないので、中学受験に向いていると思ったらチャレンジしていいと思います。わが家も、次男はもしかしたら向いていないかもしれないので、そのときは公立に行かせます。親の都合で早くから子どもをあまり決めつけないほうがいいのではないでしょうか。


▲思い出の品
過去問を解いたノート。問題をコピーして1問ずつ切り離してはりつけ、解答を書き込んでいる。

<取材後記>
受験当日も子ども一人で行かせるという、徹底した自立のさせようには驚くと共に、子どもは、信頼してやらせれば、親が思う以上にできることが多いのかもしれないと思いました。と同時に「本当にがんばっていたので、子どもの努力が報われてほしいと思った」とおっしゃっていて、親としての深い愛情を感じました。(教育ジャーナリスト 中曽根陽子)


プロフィール



教育ジャーナリスト、「登録スタッフ制企画編集会社<ワイワイネット>」代表。塾取材や学校長インタビュー経験が豊富。近著に『子どもがバケる学校を探せ! 中学校選びの新基準』(ダイヤモンド社)。

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