直島の文化背景をたどる『直島建築鑑賞ツアー』 魅力ある公共建築はどうやって生まれたのか【直島アート便り】
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直島のアート活動は1980年代後半より始まりましたが、直島町では1970年頃から建築を核とした「まちづくり」がなされていたことをご存知でしょうか。2016年から始まった「直島建築鑑賞ツアー」では、1970年代から近年に至るまでの魅力的な公共建築を、当時のエピソードや背景を知る直島町役場の職員等によるガイドと共にめぐります。このレポートでは、4月よりスタートした今年のツアーの見どころをご紹介します。
直島の文化基盤をつくった町長の政策
「直島建築鑑賞ツアー」は、直島の玄関口、宮浦港からスタートします。船のターミナルになっている「海の駅なおしま」は、SANAAの設計で2006年に完成した公共建築の一つです。水平に広がる大きな屋根により、海から山につながる直島の風景に馴染み、壁が少なく開放的なデザインになっています。
海の駅なおしま(2006年)提供:直島町
直島の文化政策は、1959年にさかのぼります。その年より直島町長を9期(36年間)務めた三宅親連(ちかつぐ)氏は、直島を3つのエリアに分けました。島の北側は1917年に誘致された三菱マテリアル直島製錬所がある産業エリア、中央は教育機関が集まる文教地区、南側の瀬戸内海国立公園エリアは「清潔・健康・快適」な観光・文化エリアになることを目指し、開発が進められました。
1970年頃から取り組まれた教育機関の拡充
「海の駅なおしま」を見た後、「直島建築鑑賞ツアー」は、直島の中央に位置する文教地区に向かいます。三宅元町長は「直島で育つ子どもたちに故郷を誇りに思ってほしい」と願い、教育の充実を図ることから着手しました。その頃の直島には各地区に教育機関がありましたが、三宅元町長の文教地区構想により保育所から中学校までを島の中心に集め、町内に住むすべての子どもたちが交流しながら学べるようになりました。
直島小学校(1970年)提供:直島町
最初に建設された直島小学校は、校舎の背景にある地蔵山の稜線にラインを合わせることにより、大きな印象を持つデザインになっています。校舎の中心にある図書館は天窓から自然光が入る象徴的な空間になっており、その左右に教室が配置されています。体育館が校舎内にあって休憩時間にも活用できたり、お手洗いが渡り廊下の役割も果たしていたりと、児童が屋内でも活発に活動できる工夫がなされています。
ガイドを務める直島町職員。建設時の小学校の写真も紹介しながら、児童がどんな風に学校生活を送っているのか、実体験を交えながら紹介します。
山のイメージでつくられた小学校に対して、その後完成した幼稚園、保育園は谷のイメージで、中学校は谷筋のイメージでデザインされています。文教地区のエリア全体が直島の豊かな自然と呼応した場となっています。
直島幼稚園(1974年)は、部屋の仕切りがなく、建物全体が大きな遊具のようなデザインになっています。認定こども園の制度のない時代から、幼稚園と保育園の園児が共に学び境界なく一緒に遊べるよう空間の作りが工夫されており、当時は画期的なアイディアだったと言えます。
直島中学校(右・1979年)は、直島町民体育館(左・1976年)へ繋がる動線をつくるため、コロネードの様式が採用されています。
これらの文教地区の教育機関の設計を担当した石井和紘氏は、小学校の設計を担当した当時、まだ東京大学の院生で24歳でした。彼は、公共建築や集合住宅の研究の第一人者であった吉武泰水(やすみ)氏の研究室に所属しており、当時欧米で取り入れられていたオープンスクールの様式や、子どもたちの精神の自発性を重視したいという想いを設計に反映させました。三宅元町長は、学生運動下で若い学生が一人で設計を担当することになった状況に不安もありましたが、石井氏の熱意や仕事に触れていくうち、若者を応援したいという想いも強くなったと言います。そうして石井氏と三宅元町長は共に個性豊かで直島らしい公共建築を次々と手がけていくことになります。
日本の建築様式を取り入れた直島町役場
直島町役場は、本村(ほんむら)と呼ばれる、城下町だった歴史を持つ生活のエリアにあります。文教地区に続き石井和紘氏の設計で完成した直島町役場は、京都・西本願寺の飛雲閣や歌舞伎座などを参考にしており、日本の伝統的なデザインのモチーフを随所に引用しているのが特徴です。屋根は三菱マテリアル直島製錬所から提供された銅板を使い、町民を温かく迎えいれるイメージを持たせるため、大きなカーブを描いています。
直島町役場(1983年)提供:直島町
役場の建物内でも、石井氏のデザインの工夫や三宅元町長のこだわりが随所に見られます。このツアーでは、普段公開していない議場や望楼も見学できます。
直島町役場・議場
一般的な議場にはない窓があることで開放感が得られ、直島の町並みを見ながら町政を考えられる工夫がなされています。足元の刺し子模様は漁の網をモチーフにしています。
直島町役場・議場
議員が落ち着いて議論できるよう、あぐらをかいて座れる幅の広い椅子を採用しています。直島町役場の家具は統一され、現在も使い続けられています。
直島町役場・望楼
「町政を考える望楼」は、直島町職員もほとんど立ち入る機会のない最上階にあります。窓が四方にあり、城下町の名残を残す本村の集落が見渡せます。
直島町役場・望楼
2015年に完成した直島ホールの風が抜ける入母屋屋根を上から見られるのも望楼ならではの景色です。
自然の「風」を活用した直島ホール
直島ホール(2015年) 提供:直島町
直島町役場に隣接する直島ホールは、三分一博志氏の設計により2015年に完成しました。三分一氏は2年半のリサーチにより本村集落の家々のつくりには南北に抜ける風の流れがあることを発見に着目し、その風を活用した自然エネルギーによる空調の仕組みを考えました。直島ホールの入母屋屋根の風穴は本村集落の風の方向を向いています。風穴を通り抜ける風は、ホール内部との圧力差を生み、内部の空気を引き上げ、自然の力で空気を循環させています。周囲の環境にあった建築デザイン等が評価され、日本建築学会賞、BCS賞、Wallpaper* Design Award、村野藤吾賞の4つの賞を受賞しています。
天井の風と光の天窓は屋根の風穴とつながり、ホール内部の空気が抜けていきます。直島ホールの正面入り口の両サイドなどに設けられた4か所の給気口から取り込まれた空気が、地下の空間を通ることで夏涼しく、冬暖かい温度に調整され、床部分にある通気口からホール内に届けられる仕組みになっています。直島ホールは直島の自然を活かした建築となっています。
地下水脈を活用したThe Naoshima Plan「水」
写真:新建築社写真部
The Naoshima Plan「水」では、夏でも水温を20度前後に保つ地下水を活用し、足をつけて涼むことができます。
直島ホールの設計を担当した三分一博志によるアートプロジェクトThe Naoshima Plan「水」は、2019年に同じ本村のエリアでオープンした施設です。この建物には築約200年の歴史があり、江戸期には廻船業、明治期に郵便局として使われていました。三分一氏は風、水、太陽といった自然の要素を「動く素材」と呼び、このプロジェクトでも本村の特徴的な風の流れや地下水脈を建築に取り入れています。本村で受け継がれてきた自然と豊かに関わりあう暮らしの形を残しながら、現代における新しい交流の場をつくっています。
アートプロジェクトと地域との関わり
このツアーの参加者からは、「新しい物の中に古い物もきちんと生かされている。芸術だけではなく人間愛と自然を大切にし、環境を守っている素晴らしい直島を感じました。」「通常では見られない場所が見学でき、直島町職員の方から詳しく説明していただき、自分では気づけないことがたくさんありました。」といった声が寄せられています。
ベネッセアートサイト直島は、作品を通じて瀬戸内の美しい自然や、集落にある人々の営みや文化に気づき、自分にとっての豊かさとは何か、理想のコミュニティとはどのようなものかを考える場になることを目指しています。
直島の個性的な公共建築群の背景を読み解いていくと、当時の町長の想いや、周囲の環境と関わりながら暮らしてきた人々の姿に触れることができます。そのような長い年月を経て続いてきた地域の背景を知ることで、作品鑑賞を通じて考えられることも変化し、新しい発見があるのではないでしょうか。このツアーは毎年期間限定で開催しています(2021年5月現在)。詳しくはウェブサイトでご確認ください。
https://benesse-artsite.jp/program/
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