先生の仕事は「授業」だけなの?‐渡辺敦司‐
今年もあと1か月余りとなりました。政府においては、来年度予算案の編成作業が一気に本格化する時期です。教育分野では、公立小・中学校の先生の数を算定する「教職員定数」の在り方をめぐって、文部科学省側と財務省側が激しく対立していることを、これまでもお伝えしてきました。文部科学相の諮問機関である中央教育審議会が異例の緊急提言をまとめる一方、麻生太郎財務相はその2日後、記者会見で「事務職員やカウンセラーを増やしたほうが、教員本来の業務をきちんとできるようになるのではないか」と述べています。先生の「本来の業務」とは何なのでしょうか。
財政制度等審議会の分科会に財務省が示した資料(外部のPDFにリンク)では、「『授業の専門家』である教員を単純に増やすことが、いじめや校内暴力、不登校への対策として有効である(=因果関係がある)との証拠は示されていないのではないか」としています。「証拠」についても、以前の記事に取り上げたとおり気になるところですが、もっと気になるのは、「授業の専門家」という表現です。
これに対して文科省は、「教員の本務は教科指導だけでなく、生徒指導は教員の中核的業務」だと反論(外部のPDFにリンク)しています。実際、授業を行いながらも、生徒指導(生活指導)や道徳教育など、幅広い教育を行うというのは、公教育の原則であり常識です。しかし財務省側の主張に見られるとおり、そうした原則や常識は、必ずしも教育界以外には理解されていないか、その実効性について疑問視されているということは、否定できないようです。
確かに、依然として頻発する深刻ないじめ事案や、なかなか学力を向上させることができない学校の存在を見ると、「単に先生の数を増やしても、効果はないのではないか」と思ってしまうのも、無理はないのかもしれません。文科省も、中教審に作業部会を設けて、事務職員やスクールカウンセラー(SC)、スクールソーシャルワーカー(SSW)などと教員が連携する「チーム学校」の在り方を検討しています。ただし、それも教科指導と生徒指導を車の両輪として本来業務とする教員の力を最大限に発揮してもらうため、「世界一忙しい」とされる現状を改善して、子どもに向き合う時間を十分確保できるようにしようというのが文科省の考えです。決して、生徒指導を教員の業務から切り離そうというわけではありません。
「授業の専門家」としても、中教審の緊急提言では、次期学習指導要領の目玉とされる「アクティブ・ラーニング」(課題の発見・解決に向けた主体的・協働的な学び、AL)による授業革新のため、教職員定数の充実が必要だとしています。
振り返れば、阪神・淡路大震災や東日本大震災のような大災害の時にも子どもたちに寄り添い、心の安定と、早期の授業再開に献身的に努力したのが、日本の教員です。その中で、21世紀に必要なスキルをも育てていることに、国際機関も注目(外部のPDFにリンク)しているのです。このように、普段は目に見えない多様な役割を日本の教員が担っていることも、決して無視してはならないでしょう。