看護師の心を守るサービスを創業/ウィム・サクラ【わたしのWell-being】
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未来には大きな変化が待っています。お子さまには、変化に「対応する」のではなく、自ら変化を「創り出す」ことを選択し、歩んでほしい。そんな願いをこめて、自分らしく活躍している20代、30代のインタビューを通して、「Well-being」に生きるためのヒントを提供します。
今回は、心を守る文化を形成することをビジョンに掲げ、働く人の心を守るメンタルヘルスケアをさまざまな形で提供するヘルステックベンチャー「Plusbase inc.」創業者ウィム・サクラさんにお話をうかがいました。
誰かが言い出さなければいけなかった「心を守る仕組みづくり」を
2022年1月に、「Plusbase inc.」 を設立しました。Plusbase inc.は「誰もが自分を受け入れて、人生を楽しめる世界をつくる」をビジョンに掲げ、良好なメンタルヘルスを「作って・維持できる」仕組みを届けることをミッションとするヘルステックベンチャーです。私は、創業者として経営企画、運営全般を担っています。
提供しているサービスは、看護師の心の悩みや働き方に寄り添ったメンタルヘルスサポートです。私自身の原体験を生かし、看護師時代の自分が出会いたかったサービスを開発・提供しています。現在は、看護師向けのメンタルヘルスサポート「ナースビー」の開発・新機能のリリースに力を入れています。
起業はあくまでも手段。そして、私も創業者ですが、言い出しっぺに過ぎません。
正直「自分ならこの課題を解決できる」という自信があってサービスを立ち上げたわけではありません。でも「今誰かが立ち上がらないと、コロナ禍でさらにつらい思いをする人が出てきてしまう」という危機感がありました。また今の私にできることは、手を挙げ課題を発信し、解決していくために共感してくれる仲間を巻き込むことや、資金集めなど環境も作っていくことだと思い、会社を立ち上げました。
今リリースしているナースビー(国内初のLINEでゆるキャラに相談できる看護師特化型のメンタルヘルスサービス)では、毎日看護師の皆さんからちょっとした不安や悩みを「ぴえんボタン」を通して送っていただき一緒に整理をしています。このようにちょっとしたつらい時から頼っていただけることに大きなやりがいを感じますね。私自身の体験から生まれたこのサービスが看護師の皆さんの心の支えになれている気がするからです。
「誰かのために」と他者や社会への貢献実感をパワーに変えるスタイルは、昔からの自分の価値観に根付いているのかもしれません。
利用者に寄り添うサービスをつくり続ける一方で、私自身も自分へのケアをより一層心がけています。たとえば、悩んだ時、つらい時、大変な時は一度立ち止まって考えるようにしています。
「どうして今の自分に困難が降りかかったのか」「なぜ神様は私にこの試練を与えたのか」
コーチングを受けたりパートナーやメンバーと対話したりする機会を意図的につくり、内省をする時間を大事にしています。
最終的には、私も含めた日本に住む人々やアジア全体へ「心を守る仕組み」を届け、良好なメンタルヘルスを「つくって・維持できる」仕組みを世界中に届けていきたいと思っています。
アイデンティティを見失い、「存在意義」を考えた幼少期
現在のキャリアに行き着くまでの転機は4つあります。まずは私のバックグラウンドの話をさせてください。
転機の1つ目は、幼少期。私の両親はスリランカ人ですが、私自身は日本で生まれました。また日本が好きな両親の想いから「サクラ」と名付けられました。
一方で子どものころは、自分のアイデンティティに悩むことがありました。「私は日本人なのか? スリランカ人なのか? そもそも、自分って何だろう」と。周りの日本人と異なる容姿が原因でいじめられ、居場所を見失った時期もありました。
当時私の支えになったのは、両親の存在。両親が知る世界の話や日本への想いを聞くうちに、今いるこの日本の中で「どうしたら自分の存在意義を見出せるのか」と考えるようになりました。
次の転機につながるきっかけとして、2004年に起きたスマトラ島沖地震と2011年の東日本大震災を身近で経験したことが挙げられます。
スマトラ島沖地震ではスリランカも甚大な被害を受け、現地の親族が亡くなったという連絡にショックを受けたことを覚えています。その後、私が高校受験に臨んでいたころに東日本大震災が起きました。多くの人が苦しんでいるのに「何もできない自分の無力さ」を痛感しました。
目の当たりにした2度の震災と無力な自分の間で歯がゆい気持ちを抱えていた私に、2つ目の転機が訪れます。それは、偶然見たドキュメンタリー番組。番組の内容は、アフリカで多くの命を救う日本の助産師の姿を追うものでした。
助産師の姿を見た瞬間、助産師として国境なき医師団に入りたいと決意しました。日本の医療の技術を学び、人を助けることができれば日本だけでなく世界に貢献ができ、私自身の存在意義も見出すことができると感じたのです。
その後、具体的に調べていくと助産師になるためには看護師免許が必要であることを知り、資格取得に向けて学べる道に進もうと決めました。
うつ病を経て訪れた人生の転機。「看護師から起業家」に
高校卒業後は看護学校に進学。卒業後は看護師になりました。この看護師時代に3つ目の転機を迎えます。
看護学校時代から、看護師は心身ともに過酷な仕事だと聞いていました。バーンアウト(燃え尽き症候群)になりやすいという話も聞いていましたが、私は友人からも「明るい」と言われる性格で、私自身もメンタルは強いほうだと思っていました。
その私が、うつ病を患い休職することになりました。
命を扱う現場におけるプレッシャー、患者さんに寄り添う日々、夜間勤務による不規則生活などが重なり、心と体のバランスを崩してしまったのです。思い描いていた理想と実力のギャップも原因になりました。
休職期間中は「認知行動療法」を学びました。故郷のスリランカに行き、ヨガのインストラクターの資格を取得したりアーユルヴェーダ(アーユルヴェーダ:スリランカ発祥の伝統医療)のルーツに触れたりしました。
それぞれの療法から得た学びのおかげで、看護師時代の自己犠牲的な考え方から抜け出すことができました。また、故郷で自分のルーツを再確認したことで「自分のバックグラウンドやアイデンティティを生かして生きていきたい」という想いも芽生えました。
その後は、学生時代にインターンをしていた病院から声をかけてもらい現場に戻り看護師として復帰をしました。「学んだことを生かして現場で貢献したい。看護師に戻りたい」という想いでした。しかし、学んだことを生かすには現実は厳しかったです。自分自身も周りの看護師も日々の業務に追われて、メンタルヘルスサポートを行う時間を十分に確保することができませんでした。
その現実を受け止めて「(業界や組織の)中から変えるには限界がある。外からサポートする仕組みはないのだろうか?」と考え始め、医療現場の外からメンタルヘルスサポートを提供できる持続可能な仕組みを模索するようになりました。
4つ目の転機は、経済産業省×JETRO主催「始動 Next Innovator 2020(グローバル起業家等育成プログラム)」に参加したこと。ここで改めてビジネスについて学び始めました。同プログラムではシリコンバレー派遣メンバーに選んでいただき、現地に出向きました。日本にはない刺激的なアイデアやさまざまなイノベーターたちに出会い、貴重な経験をしました。現地での経験やプログラム内での仲間との出会いも後押しになり、起業を決意しましたね。
私の人生は子どものころとは異なり、起業を機にさらに変わり続けていると思います。自分が変わらないと成し遂げたいことができないと考えていて。自分自身で意図的に変えようともしています。
学んだことをすぐにアウトプットする。とにかく行動する。そうすることで自分の周りにもいい影響を与えることができていると思っています。
起業までの道を振り返ると紆余曲折がありましたが、すべての出来事が私を前進させるモチベーションにつながっています。
「逃げてもいい」大切なのは挫折を受け止め、意味を考えること
今までの人生を振り返ると、幼少期はいじめを受けたことや外国にルーツを持つことからアイデンティティについて悩みました。一方で、それらの経験があったからこそ真剣に自分自身の存在意義と向き合うことができ、自分にできることは何かと考えるきっかけになりました。
10代では震災を目の当たりにし、大きなショックを受けたこと、さらには家族が難病にかかったこともありました。それらがあったことで、自分がいち早く一人前にならなければいけないという意識が芽生えて、自立心や社会貢献への意欲が育まれたと思っています。
夢だった看護師になってからもうつ病を発症し、看護業界でのキャリアは一度諦めることになりました。しかし、その経験があったからこそ、今の活動に至ったと考えています。
これまでの人生でさまざまな挫折を経験しましたが、折に触れて振り返るたびに起きたことすべてに意味があると実感しています。
自分を守るために逃げることは大切なことです。しかしそれ以上に、一度立ち止まり、内省をしたりその意味を考えたりして、次につなげることが大切です。ぜひ自分の人生や心身のメンテナンスの意味も込めて、定期的に誰かと話しながら自分自身を振り返る機会を意識的につくってみてはいかがでしょうか。
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