国語は「理論と精密さ」が大切[中学受験]

算数は理論よりも演習量という話をしたが、国語は逆に理論を重視することで「苦手」から脱することが可能となる。ここで「国語が理論」と言うと、違和感を覚えるかたもいると思う。
たとえば、物語を読んでさまざまな感想をもつことは読者の自由であり、一つの解釈で縛ることはおかしいという考え方だ。
物語を読む場合は、解釈は読者の数だけあって良いと思う。そして場合によっては、筆者が意図したものとは別の解釈があったとしても、それらを「間違い」とは言えないであろう。

しかしこれが物語文、つまり試験問題として出題される場合は状況が変わってくる。つまり原則的にはすべての問いが、一つの(または一つの方向の)正解しかもたないようになっているのである。
なぜか? それはそのように「作ってある」からだ。
入学試験とは、落とすためのものであり、明確な優劣を付ける必要がある。ということは、明確に正解か不正解かを色分けする必要が出てくる。よって「こういう解釈も成り立つ(つまりこういう答えでも正解)」では困るのである。
こういったあいまいな答えを除去するために、問題文や設問ではさまざまな「仕掛け」がつくってある。
たとえば選択肢問題(選択肢から正解を選ばせるような問題)では、選択肢を決定的に不正解に(しかも紛らわしく)するための手法がいくつかある。
その一つが、選択肢に「のみ」「だけ」「絶対」などの言葉を入れることで、本文に比べて「言い過ぎている」ということで不正解にするという方法である。
具体的に言うと、本文では「最近は甘いものを好まない子どももいる」とあり、選択肢では「最近の子どもは甘いものが嫌いだ」とある場合、この選択肢は不正解として消去すべきものとなる(より適している選択肢がある場合)。
なぜなら、本文にある「甘いものを好まない子どももいる」ということは、「甘いものを好む子どももいる」ことになるのだから、選択肢の「最近の子どもは甘いものが嫌いだ」は、明らかに言い過ぎていることになる。
つまり、本文に書かれていることを「根拠」に、理論的に「不正解」になるように選択肢がつくられているのであり、生徒は理論的に正解を選ぶ(または見つける)ことが期待されているのである。
だから国語は「理論」であり、「精密さ」が非常に重要になってくる。

ここで「精密さ」という言葉を使ったが、「正確さ」と言うよりも的確と思えるので、いつも「精密さ」と述べている。
この仕組みを理解することが、国語の試験で安定して高い点数をとることにつながる。
逆に、理論的ではなく自分の思いで解く生徒は、いくら読書好きであっても問題によってその得点が上下することになる。
特に5、6年生になって問題が「理論的」になってくると、このような症状が顕著に表れる場合が多い。

プロフィール


小泉浩明

桐朋中学・高校、慶応大学卒。米国にてMBA取得後、予備校や塾を開校。現在は平山入試研究所を設立、教材開発など教務研究に専念。著作に「まとめ これだけ!国語(森上教育研究所スキル研究会)」などがある。

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