「ほめる」のはなぜ難しいのか?[中学受験]

生徒の学力を伸ばすには「ほめる」ことが大切であるとよく言われる。実際この考え方はとても重要で、特に入試本番直前のこの時期、模擬試験の結果や過去問の結果が少々悪くても、決して生徒をけなすようなことを言ってはいけない。おそらく塾の先生方も、年明けの前と後では生徒に対する対応がかなり違ってきているはずである。とにかく自信を少しでももたせるように、「ほめる」ことを心がけているのではないか。模擬試験は良い結果を信じて、悪い場合でもその原因の究明は行うべきだが、自信を失うことなく気持ちをコントロールする必要がある。人はほめられると勇気がわいてくるし、随分とやる気が違ってくる。たとえば私の場合、講演会のアンケートで「目からウロコが落ちる思いだ」などと書いていただけると「よーし! 次は何をお話ししようか?」などと気持ちが前向きになる。逆に何も書いていただけないと、「内容が今ひとつわからなかったのか?」と心配になる。「ほめる」ということは、ほめる人が思っている以上にほめてもらう人にとっては重要で、仕事や勉強の活力になるのであろう。

しかし「ほめる」のは難しい。先生が生徒を「ほめる」、仕事で上司が部下を「ほめる」ことはまだしも、親が子を「ほめる」ことは特に難しいのではないか? 私にも三人の子どもがいるが、たまたま勉強を教える機会があっても、他の生徒を「ほめる」ほうがはるかに簡単に思える。やはり何か恥ずかしさを感じてしまうのである。これは私だけではなく、日本人は我が子を「ほめる」ことが苦手なのではないのか。「そんなこと言わなくてもわかっているだろう」という気持ちが先に働いてしまう。自分の子どもを「ほめる」親に対して、「親バカ」と思えてしまうのはこのあたりに原因があるのかもしれない。しかも子どもは親に一番ほめられたいと思っているのだから、なかなか難しいものである。

もう一つ「ほめる」ことが難しい理由としては、そこに責任が生じるからかもしれない。テストの結果を見て「まだまだ!」と言うのは非常に簡単。なぜなら次のテストの結果が良くても悪くても自分に責任が生じないからである。しかし良い結果を「がんばったね! この調子なら大丈夫よ」と言ったあとで悪い結果が出ようものなら、「私が太鼓判を押したのに、こんな点数を取って恥ずかしい」ということになりかねない。つまり手放しでほめにくいのである。私自身も「ほめる」ときにはある程度勇気がいる。もちろんいい加減に「ほめる」のではなく、過去のデータをいろいろ検討しながら「ここまでできれば、もう大丈夫でしょう」と言うのだが、なかにはそうでなくなる生徒も出てくる。その意味では「ほめる」とは、非常に勇気が必要な作業なのである。それでは「よくがんばったね!」だけでよさそうなものだが、受験生はどうしても次の言葉、つまり「もう大丈夫」なのか「まだまだ」なのかを聞きたがるものであり、「よく頑張ったね! この調子で勉強すれば大丈夫だよ」が最良のほめ言葉なのである。だから責任が出るのであり、言いづらくなるのであろう。

しかしここまで本番の入試も押し迫れば、そんなことも言ってはいられない。責任を感じながらも、受験生であるお子さまをほめ、少しでも気持ちの良い状態で試験に送り出してあげたい。

プロフィール


小泉浩明

桐朋中学・高校、慶応大学卒。米国にてMBA取得後、予備校や塾を開校。現在は平山入試研究所を設立、教材開発など教務研究に専念。著作に「まとめ これだけ!国語(森上教育研究所スキル研究会)」などがある。

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