杉山愛さん(元テニスプレイヤー)が語る、「人間力」を育むスポーツの力【前編】~「子どもは社会からの預かりもの」自立を促した母の問いかけ~
「家族で楽しめるから」と、4歳からテニスを始めた杉山愛さん。17歳でプロ入りし、グランドスラム(世界四大大会)ダブルスでは4度優勝、五輪には4度出場するなど、17年間にわたり日本テニス界のエースとして健闘されました。幼いころから目標を定め、世界で活躍してきた杉山さんの経験を通じ、スポーツが育むさまざまな力について、お話を伺いました。
7歳で決めた目標「グランドスラムへの道」
小さいころから体を動かすことが大好きで、いろいろな運動系の習い事に通わせてもらいました。なかでもテニスが自分のフィーリングにとても合い、楽しくてどんどんのめり込んでいったんです。
7歳の時、たまたま近所に本格的なテニスアカデミーができ、入校したのですが、とても厳しいレッスンが週に5日もあるような環境で、プロをめざすエリートが集まっている所でした。クリス・エバートにあこがれていた私は、そんな環境の中で必然的に、海外で活躍するプロテニスプレーヤーになる、と決めていました。
両親がテニス愛好家でしたから、自宅にはウィンブルドンのセンターコートのポスターが貼られていて、常に目にしていました。そのため、実際に自分がセンターコートに立った時には、「ここにいるんだ……」とぐっと込み上げるものがありましたね。
「あなたはどうしたいの?」「どう考えるの?」
若いころからプロとしてテニスに打ち込めたのは、母の力に寄るところが大きかったと思います。とは言え、母が私に何かを強要したことは一切ありません。「○○しなさい」と言われたことがないんです。代わりに幼稚園時代からずっと、「あなたはどうしたいの?」「どう考える?」と、問いかけられていました。自分で決めるのはとてもエネルギーがいりますし、時には面倒になりますよね。中学生のころは母の問いかけがしんどくて、「ママが決めてよ!」という気持ちになることもありました。
母は「子どもを自分の所有物と思ったことがない」のだそうです。私が生まれた時から、「この子は社会からの預かりもの。いつか社会にかえす日まで、成長を見守りながら私も一緒に育っていこう」と考えて子育てをしたと言います。ですので、常に私の主体性を引き出し、尊重してくれました。私がやりたいことはたいていチャレンジさせてくれましたが、必ず「中途半端で投げ出さない」という約束事がありました。「自由には責任がある」という人生の大原則を、幼いころからたたき込まれていた気がします。
人生初の壁は25歳で……
17歳でプロデビューして、世界を転戦する生活はとても刺激的で楽しいものでした。世界の舞台ではめざすべき目標が明確です。伸び盛りでプロになったこともあり、ランキングもどんどん上がって、おもしろくてしかたありません。それまで壁にぶつからずに勢いで前へ前へと走ってきた私が、人生初にして最大のスランプに陥ったのは25歳の時。シングルスの試合でまったく勝てなくなったんです。ボールの打ち方もわからなくなるほど自分のテニスに自信がなくなり、遠征先から日本にいる母に電話をかけ、初めてテニスをやめたいと泣き付いたのです。
「やるべきことは全部やりきったの?」という母の問いかけに、ハッとしました。自分でもやりきったとは思えなかったからです。でも混乱している私には、何をどうしたらよいのかが見えません。その時、母がひと言「私には見えるわよ」と。私には見えないことが母には見える、ならばこの人をコーチとして迎えよう。そう決めてそこから9年にわたる母との二人三脚が始まりました。私に足りなかったのは精神的に大人になることでした。この大ピンチに、母はコーチとして、私が主体的に変化し、成長することを忍耐強く支えてくれたのです。
【後編】は、スランプを経験したことで得たもの、世界の頂点にいるアスリートたちの人間力、そしてスポーツが育む力について、引き続きお話を伺います。