伝統芸能・歌舞伎の歴史や今を知る
2013年4月、東京・銀座にある歌舞伎座が建て替え工事を完了したことが、大きなニュースとして取り上げられました。歌舞伎は、何百年も前に生まれながら、今でも大きな人気を保ち続けている伝統芸能です。中学入試でも、今回のニュースなどをきっかけに、歌舞伎の歴史的な知識や、伝統を今に生かすための課題など、さまざまな面から問われることが考えられます。そこで今回は、そんな歌舞伎について取り上げましょう。
クイズde基礎知識
「歌舞伎座」が初めてできたのはいつ?/歌舞伎を始めた人物といわれるのは誰?/歌舞伎から生まれた言葉はどれ?/1928年、海外で初めての歌舞伎公演が行われた国は?/京都にある歌舞伎の劇場の名前は?
時事問題を学ぶきっかけになる題材をクイズ形式でご紹介します。基本情報の整理に、親子で時事問題について話題にするきっかけに、入試・適性検査対策に、お役立てください。
Q1
「歌舞伎座」が初めてできたのはいつ?
A.江戸時代
B.明治時代
C.昭和時代
A1 正解は 「B.明治時代」 です。.
「歌舞伎座」とは、東京・中央区にある劇場で、初代の建物は1889年(明治22年)に、その名のとおり歌舞伎を中心に行う劇場として建設されました。その後、1921年(大正10年)の漏電や1945年(昭和20年)の東京大空襲で焼失しましたが、そのたびに再建され、歌舞伎の殿堂として親しまれてきました。
4代目となる建物は1951年に開場したものですが、老朽化が目立つことなどから2010年から建て替えが行われ、2013年には5代目の建物が完成。4代目のデザインを踏襲しながら、料金が安い3階席からも花道(俳優が舞台に出入りする道)が見えるなどの工夫が取り入れられています。エスカレーターやエレベーターが設置され、バリアフリー化もされています。
4月から始まったこけら落とし(新築または改築した劇場の初興行のこと)には、天皇・皇后両陛下や安倍晋三首相も訪れるなど話題となり、新たなスタートがきられました。
新しくなった歌舞伎座の外観(写真提供:松竹株式会社)
Q2
歌舞伎を始めた人物といわれるのは誰?
A.初代市川團十郎
B.出雲阿国
C.近松門左衛門
A2 正解は 「B.出雲阿国」 です。
歌舞伎の始まりは、1603年、京都で出雲阿国(いずものおくに)という女性が踊った「かぶき踊り」だといわれます。出雲阿国は、現在の島根県にあたる出雲出身といわれる女性です。当時、京都の若い男性の間で、大きな刀を持ち、派手な着物を着て町を歩くのがはやっていて、彼らは「傾(かぶ)き者」と呼ばれていました。阿国が、京都の北野天満宮の舞台でそんなかぶき者たちの姿をまねて踊ったのが「かぶき踊り」で、庶民の間で大人気となり、広がっていきました。
その後、「かぶき」に「歌舞伎」という字が当てられ、また「風俗を乱す」という理由で女性が踊ることが禁じられ、踊り手が男性へ変わるなどして、現在のような歌舞伎の形が成立していきました(出雲阿国についてや、歌舞伎が現在のような形になるまでの経緯、歌舞伎という言葉の由来については諸説あります)。
Aの初代市川團十郎(いちかわ・だんじゅうろう)は、江戸時代に江戸で大人気を集めた歌舞伎俳優、Cの近松門左衛門は、江戸時代に京都や大阪で活躍した、歌舞伎や人形浄瑠璃(三味線の伴奏と語りに合わせて人形を使う人形劇)の作者です。
Q3
歌舞伎から生まれた言葉はどれ?
A.土壇場
B.揚げ足をとる
C.十八番
A3 正解は 「C.十八番」 です。
「十八番」は「おはこ」と読み、「最も得意な芸や技」を意味する言葉で、1832年に歌舞伎俳優の7代目市川團十郎が、代々の團十郎が得意にしていた18の作品を集めて発表した「歌舞伎十八番」がルーツです。その台本を箱に入れて大切に保管していたことから「おはこ」と読むようになったといわれています。歌舞伎から生まれた言葉には、この他にも下の表に挙げたようにいくつもあります。
Aの「土壇場(どたんば)」は、「土を盛って築いた壇の場所」を意味する言葉で、江戸時代に罪人を処罰する場所として使われたことから、「どうにもならない最後の決断を迫られる場面」という意味で使われるようになりました。Bの「揚(あ)げ足をとる」は、「相手の失敗や失言につけ込むこと」を意味する言葉で、相撲や柔道で相手が技をかけようとして持ち上げた足を利用し、手でとって倒すことから生まれたといわれます。
Q4
1928年、海外で初めての歌舞伎公演が行われた国は?
A.アメリカ
B.ソ連
C.フランス
A4 正解は 「B.ソ連」 です。
海外初の歌舞伎公演は、1928年、2代目市川左團次(いちかわ・さだんじ)らが、ソ連(現在のロシア)のモスクワとレニングラード(現・サンクトペテルブルク)で行った公演だといわれ、これを皮切りに歌舞伎はたびたび海外で上演され、好評を博しています。最近では、2004年と2007年に18代目中村勘三郎(なかむら・かんざぶろう、2012年12月死去)らが中心となった「平成中村座」が、アメリカ・ニューヨークで本格的な公演を行いました。12代目市川團十郎(2013年2月死去)も、アメリカ、ドイツ、オーストラリア、フランスなどで公演を行っています。また、歌舞伎座をはじめとする日本の歌舞伎公演にも、多くの外国人が訪れて、イヤホンから流れる英語の解説を聞きながら、熱心に観劇する姿が見られます。
歌舞伎が世界から認められている大きな理由の一つとして、日本独自の文化を守っていることが挙げられます。俳優が決める見得(みえ=重要な場面などで演技を止めてポーズをとること)、色とりどりの隈取り(くまどり=役柄を表す独特の化粧法)、男性だけの世界ならではの女方(おんながた、おやま=女性の役を演じる男性俳優)、三味線・太鼓、能管(のうかん=笛の一種)といった楽器を使った囃子(はやし=伴奏音楽やその演奏者)などは、日本の伝統の中で培われたものだからこそ、日本人だけでなく外国人の目にも魅力的に映るのです。国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が、世界各地の芸能や祭礼、伝統工芸技術の保護を目的として行っている「無形文化遺産」でも、歌舞伎は能楽や人形浄瑠璃などと並んで指定を受けています。
Q5
京都にある歌舞伎の劇場の名前は?
A.松竹座
B.南座
C.御園座
A5 正解は 「B.南座」 です。
南座(みなみざ)は、京都の四条大橋近くにある歌舞伎の劇場です。京都は、出雲阿国による歌舞伎発祥の地であり、江戸時代には江戸や大坂(この頃は「大阪」でなく「大坂」と表記した)と並んで歌舞伎の盛んな地域で、「七座」と呼ばれる7か所の劇場が興行を許され、にぎわっていました。京都や大坂の歌舞伎は「上方歌舞伎」といわれ、荒々しい江戸の歌舞伎とは違う、やわらかな特徴があり、坂田藤十郎(さかた・とうじゅうろう)などの人気役者が生まれました。
その後、関西の歌舞伎は衰え、京都の歌舞伎の劇場も次々になくなりましたが、南座だけは残り、今も歌舞伎の興行が行われています。また、2005年には3代目中村雁治郎(なかむら・がんじろう)が関西の歌舞伎の代表的な名跡である坂田藤十郎の4代目を襲名するなど、関西の歌舞伎を復興しようという動きも続いています。
Aの松竹座(しょうちくざ)は大阪にある歌舞伎の劇場です。C御園座(みそのざ)は名古屋の劇場です。2013年3月26日に建て替えのため閉鎖され、再開場は5年後の予定です。