国語力はテクニックの問題なのでしょうか?[中学受験合格言コラム]
「国語力はテクニックの問題なのでしょうか?」
平山入試研究所の小泉浩明さんが、中学受験・志望校合格を目指す親子にアドバイスする実践的なコーナーです。保護者のかたから寄せられた疑問に小泉さんが回答します。
※小泉さんへのご質問は、不定期にBenesse教育情報サイトメンバー向けのメールマガジン「教育情報サイト通信」で募集をいたします(随時の受付は行っておりません)。
質問者
相談者:小4男子(性格:大ざっぱ・弱気タイプ)のお母さま
質問
長文問題が苦手でかつ記述問題になるとほぼお手上げ状態です。自分の経験からするとこれは読書量が物を言うと思うのですが、実際に受験を経験した長男などに言わせると、テクニックの問題であると断言します。果たしてそうなのでしょうか?
小泉先生のアドバイス
国語は「読書」や「テクニック」によってそれぞれ伸びる部分が違います
国語力は読書で身に付くものもあれば、問題演習をとおしてテクニックという形で身に付くものもあります。読書をとおして身に付くものとしては、まずは語彙力と文字をイメージ化する能力でしょう。漢字や熟語はもちろん、慣用句やことわざなど漢字の練習帳ではなかなか学べない微妙なニュアンスまで習得することができるのが読書です。
また、人はどういう時にどのような気持ちになるかを疑似体験することで、それらを理解したり表現したりできるようになるのも読書の効用だと思います。「男女間の恋の話など、経験していないので答えられない」という悩みをよく聞きますが、読書をすることによりそれらを経験することは可能になります。
このように、読書の習慣が身に付いているお子さまは、確かに国語力がある生徒が多いと思います。
ただし、本の読み方によっては、国語のテストの点数があまり良くないお子さまもいます。それらの子に共通しているのは、あまり考えずに本を読んでいるということです。物語のストーリー展開を読み進めるだけで、登場人物の心の動きを感じたり、その理由を考えたりせずに読み終えてしまうのです。このような読み方だと、楽しくはありますが、国語力が付く読書にはなりません。もっと「深い読み」が必要です。ただし、「読書は楽しむためのもの」と考えれば、目的は果たしているとは思いますが……。
問題演習をとおしてテクニックとして身に付けたいものは、物語文や論説文の読み方や、記述問題の書き方、選択肢問題の解き方などでしょう。制限時間の中で、的確に筆者のイイタイコトをとらえるには、やはりそれなりの方法論が必要です。選択肢問題にしても、入試問題ともなればひねくれた選択肢が出てきますから、消去法などによって最適なものを探す技術が必要になってきます。これらの力は、単に本を読んでいるだけでは培えない力かもしれません。その意味では、ご長男の意見である「(国語力は)テクニックの問題である」は正しいと思います。
ただし、いくらテクニックを学んでもそれを使えない生徒さんはいます。集団授業ではなかなかテクニックの使い方を実感できないため、やり方は知っているが上手に使えないのです。
そして、さらに根本的な原因としては、「論理的」に物事を考えることができていないということだと思います。最近の中学入試では、感性よりも論理性を問う問題が圧倒的に多くなっています。ものごとを深く考える力や抽象的なことがらを理解する力が求められているのです。そして、これらの力は文章を≪深く読む≫ことで養われるとも思います。そう考えれば、お母さんの「(国語力は)読書量が物を言う」は正しい意見であるとも言えます。
現に、あまり国語の勉強をせずにテストで高得点をマークする生徒はいます。しかも、いわゆる解法のテクニックを教えてもらっていない場合もあるようです。彼らは、どのようにして問題を解いているのか? おそらく、読書の経験から、自分なりのテクニックを編み出しているのでしょう。そして、それらのテクニックは、「論理的」であれば、確かに有効だと思います。
このように、国語は「読書」や「テクニック」によってそれぞれ伸びる部分が違いますから、両方をバランス良く取り入れながら国語力を伸ばしていくのが理想です。ただし、受験の国語力を伸ばすための必要条件は「論理力」ですから、読書をする時も、テクニックを使いながら問題演習をする時も、「なぜ」を考えて「論理力」を磨くことを忘れないことが大切だと思います。