桐朋中学校1年生 R・Nくんのお母さま(2008年7月18日更新)
今回は、第一志望だった桐朋中学校に今年進学されたお子さんのお母さまにお話を伺いました。「最初はどうしても中学受験をさせようとは思っていなかった」というお母さま。「でも最後には子どものがんばる姿に、たとえいい結果が出なくてもこの経験はムダにはならないと思った」とおっしゃいます。さて、どんな受験だったのでしょうか・・・。
「なにがなんでも難関校に合格させようと思ったのではなかった」というNさん。結果的にうまくいったのは、お子さんの主体性を上手に引き出したお母さんの力があったようです。
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スタートは学校の勉強が物足りなくて、
子どもが「もっと勉強したい」と塾に入ったことから
小学3年生の冬期講習から塾に行かれたということは、最初から、中学受験をさせようと考えていらしたのですか?
いいえ。中学受験に興味はありましたが、私達は夫婦ともに公立中学の出身で、中学時代の友人とのつながりが今でも強いので、子どもも中学までは地元の学校でいいかなと考えていました。それが、小学3年生の2学期に、子どもが「学校の勉強はつまらない。友達の行っている塾が楽しそうだから、僕も行きたい」と言いだしたのです。ちょうど授業参観があったのですが、私も「これではおもしろいはずがない」と納得。とりあえず塾の体験授業に行かせてみることにしました。
ところがその大手塾の授業は、1時間でふらふらになるほど本人が疲れてしまったのです。そこで、近所にできたばかりの少人数制の塾(次世代ゼミファインズ)の体験授業を受けてみたら、「ここの授業はおもしろい」ということで、算数と国語だけ行かせてみることにしました。最初から受験を考えていれば、4教科やらせたと思いますが、週1回でしたし、私としては、公文などの補習塾に通っているのと同じ感覚でした。最初の模試の偏差値は40台。「意外とできなかったな」と思いましたが、焦りはしませんでした。
しばらくして、本人が理科や社会の授業も楽しそうだと言いだしまして、小学4年生の夏期講習から4教科やるようになったら、2学期のテストで成績が急に上がったのです。驚きましたね。
しかしその後は、4年生は塾内の順位も出ないし、特にこちらもはっぱもかけないので、宿題もやったりやらなかったりという状態でした。5年生に上がる時、中学受験コースにするか、公立中進学コースにするか決めなくてはならなかったこともあり、親としては塾を続けさせるか迷っていました。
ところが、本人は「もう少し勉強したい」と言うではありませんか。公立中に行くにしても、いずれ塾には行くのだし、その時は高校受験のコースに変わればいいやと考えて、とりあえず中学受験コースに進ませることにしました。
5年生になるとテストの結果がはり出されるようになり、「そこに名前が載るとうれしい→今度は全教科で載るようになりたい→勉強する」という好循環が生まれ、成績もおもしろいように上がっていきました。特に地理が得意で、社会はいつも満点に近い成績をとっていました。これは、小さい頃から電車が大好きで、一人でよく地図を見ていて、わからないことがあると教えなくても自分から図鑑などで調べていたので、自然と覚えていたのですね。それが核となってモチベーションが維持されていたようです。
第一志望校の桐明中学校と運命の出合い
桐朋中学校が第一志望だったということですが、学校選びはどのようになさったのですか?
5年生になって、塾の先生からも、「たくさんのお子さんを見てきたけれど、Rくんは難関中学の受験にたどり着けるお子さんだと思います」とおっしゃっていただいたのです。あくまでも「たどり着ける」のであり、「合格できる」とおっしゃったわけではありません。しかしそう言われると、「これはちょっと真剣に考えてみようか」と、学校見学に行ってみることにしました。でもまだお気楽で、その当時は水泳をやっていたので、「温水プールのあるところから見る?」などと言っていました。
難関中学といわれている駒場東邦中の体育祭がたまたま先にあったので連れて行ったのですが、学校に入ったとたん、「ここはいやだ」と言うのです。なぜかわかりませんが、それ以来頑として受け入れませんでした。その次に家から近いので桐朋中を見に行ったら、「ここがいい!」ときっぱり。
親としては、最初は付属の小学校があるところは考えていなかったし、その頃は偏差値も60台が出ていたので、他の学校も見てみようと早実や早稲田、慶應普通部、海城など桐朋と同じくらいの偏差値の学校は見ていきました。しかし、本人の意思は最後まで変わりませんでした。
ところが、5年生の秋頃から何をやっても成績が上がらなくなり、偏差値も6年生の初めには、2教科で40台半ば、4教科は社会に助けられて50台前半と「桐朋なんてなに言っちゃってんの…」といった状況になってしまっていました。すると、「わからなくなる→やる気もなくなる→サボることを覚える」というマイナスのスパイラルにはまっていき、学校見学もやり直しになりました。
6年生の夏期講習以降、復調の兆し。最後は親も驚くほど集中した
その状態から、桐朋中学校に合格できるところまでどのようにもっていかれたのでしょうか?
基本的には、親は受験のことは何もわからないですから、勉強のことは塾の先生にお任せしていました。子どもも塾の先生をとても信頼していましたから。
6年生の夏休みになって、やっと少しずつ成績も上がっていき、社会で塾内トップの成績をとるなど回復の兆しが見え始めました。社会はやはり得意科目で、どこの学校の過去問を解いてもだいたい9割はとれていました。このことが、本人の意欲を引き上げるポイントだったと思います。
他の科目はどうだったかというと、理科は、化学はできるが物理はだめというように分野によって差がある。国語は読解が全然できないので、ひらすら漢字と文法を勉強していました。しかし、このことがあとで力になっていたことに気づきました。
算数は、まあ平凡な成績でしたね。難関校を受けるということで応用問題に力を入れていて、計算練習などをおろそかにしていたので、ケアレスミスが多い。基本問題ができなくて、応用問題は解けるというおかしな具合でした。そこは、塾の先生の対策プリントで、6年生の12月頃になってやっと直してもらったという感じです。
大手の塾なら考えられないことでしょうが、塾が家の近所だったということもあり、6年生の11月頃からは夕食の時に帰ってくる以外は、10時までずっと塾で勉強していました。その代わり、家に帰ったら勉強はしないで、11時には寝ていました。本人も先生の顔を見ないと不安だったようです。毎日学校から帰るとすぐに塾へ行き、先生のあとをついて回って質問をしていたようです。
親はというと、迎えに行く時や、月に1回の面談など、塾の先生とのコミュニケーションはとてもとれていたので、子どもの様子はよくわかりました。
いかに勉強に向かわせるかということで、先生の心理作戦に乗って、私は叱る役に徹し、先生はフォロー役と役割分担をしていました。
子どもは「塾の先生はいいことを言ってくれるけれど、お母さんはいやなことばかり言う」と話してましたね。受験が終わってしばらくして、「あれは作戦だったのよ」と教えてやりました。
家庭ではどのように接していらっしゃいましたか?
基本的に私は、学習内容がわからないので、あまり口出しはしないほうです。もちろん口うるさく言うことはありますよ。でも、日頃の家庭学習も自分で計画を立てて、自分からやっていたので、時々「やったの?」とチェックするくらいでしたね。やっていなければ叱りますが、子どもを見ていると、自分でやらなければまずいと思ったときには、こちらが何も言わなくてもさっさとテーブルを片づけてやっていました。やらない時にはこちらがいくら言っても「このカードゲームが終わってから」とかいいわけして、なかなかやろうとしないんですね。結局本人にやる気がなければだめなんだと思います。
幸い、うちは父親が普段口うるさく言わないので、たまに父親にチェックされると「やらないとまずい!」と思ったようでした。
私はそういう時には、「お願いして中学受験をしてもらっているわけではない。塾に行くにはお金がかかっているのだし、そのお金を稼ぐためにお父さんやお母さんが何をしているのか考えなさい…」と言って聞かせました。自分の意思でやっていることだという方向にもっていったのです。他の習い事でも同じです。「やる気がないならやめなさい」といつも言っています。そう言ったらサッカーは「じゃあ、やめる」と、あっさりやめてしまいましたが(笑)。
1月入試でまさかの不合格。そこから真剣にがんばって結果を出す
では、その後は本命入試まで順調だったのですね。
いえいえ、1月に立教新座を受験したのですが、結果は不合格でした。その時には「どうせ行きたい学校じゃなかったし。受からなくても悔しくない」などと強がっていましたが、実はショックだったようで、夕方涙を流していました。塾の先生は、慰めるのではなく、「どうして受からなかったと思うか」とちゃんと向き合うように諭してくれました。
それから、真剣さが変わりましたね。今思うとその不合格があったから、桐朋中で結果が出せたのかもしれないですね。
入試には父親がついていきました。私がついて行くとモチベーションが下がることを言ってしまいそうだったし、子どもはお父さんが好きなので。
どのお子さんも、そこに至るまでそれぞれにがんばっている。○○中に入ったからできる子、だめだったからできない子というレッテルをはるのは間違い
受験が終わって何を感じられましたか?
これまでの努力が、入試当日のたった1枚の紙切れの成績だけで決められてしまうのは、きついなと思いました。受験とはそういうものですが、せめて親はそこにいたるまでの過程を評価してあげたいですね。私自身もこの経験をするまではそうだったのですが、どうしても偏差値だけで結果を評価してしまいがちです。しかしそんなものではないとつくづく感じました。いちばんいやだったのは中学受験をしなかった方から、「うちも同じくらいの成績だったから受験をさせていたら受かったかも。中学から入ったほうが楽だったのに」と言われたことです。
どの子もそれぞれそこにたどり着くまでの過程があります。結果で判断されたくないし、判断したくないですね。
実は、塾の先生から難関中受験を薦められた際に、「Rくんは難関中受験へ努力する才能があるだけで、難関中に合格する才能はありません。難関中の入試は、当日までの努力は3割くらいしか通用しません。7割は当日の問題を解いてみないと結果はわからない。そのくらい合格は難しいものです。
ですから、『この学校に絶対入るのよ』としばり上げることは絶対にしないでください。まだ子どもです。不合格の時に立ち直れなくなります。そもそも合格できる子は、難関中の入試倍率から見ても3割程度です。それにRくんは御三家・最上位校へ入れる才能もありません。最上位校に入るような子は、見ただけでわかります。」と言われました。このお話の意味は入試を経験した今はよくわかりますが、当時はとても難しいご注意でした。その当時は60台後半の偏差値も出していたので、中学受験初心者の親が暴走しないようにという配慮だったと思います。
いずれにしても、ご縁があってこその入学です。うちよりできていたお子さんでも不合格の方もいらっしゃるし逆もある。受験は、その子がやりたいことを見つけてそこへ向かっていく過程が大事なのですね。子どもにも、まだ桐朋中の結果が出る前に、「ここまで一つのことに向かっていった努力は決してムダにはならない。この後きっと役に立つはずだよ」と言って聞かせました。
幸い、わが家は合格をいただいたので、きれいごとに聞こえるかもしれませんが、実際そうではないでしょうか。
実際中学に通われていかがですか?
中学の勉強は、塾のように手取り足取りはやってもらえません。自分の勉強スタイルがまだ完成していないので、苦労はしています。順位は出さない学校ですが、周囲はできるお子さんが多いので、中間テストの平均点も英語が82点と高いのです。
子どもも「授業は先生の熱意が感じられて、とても楽しいけれど、日々の学習はレベルが高くて気が抜けない」と言っています。しかし、学校生活は、あこがれだった文化祭や遠足、スポーツ大会など、充実した毎日を送っています。先のことはわかりませんが、今は学校生活を楽しんでいるようです。
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<塾の先生のコメント>
私は、小学6年生の初めから受けもったのですが、当時のRくんは、プライドはあるけれど、まだ本気度が足りないという状況でしたね。あまりプレッシャーをかけるとへこんでしまうので、そこのバランスが難しかったけれど、プライドがあるというのは良いことなので、それを利用して「君はこの塾のエースだ」ともち上げていきました。お母さまには、よく協力していただきましたね。
<取材後記>
おおらかで、あまり物事にこだわらない明るい人柄のお母さまでした。お子さんの主体的な姿勢を大切にされていたのが、志望校合格の秘けつのように感じました。
下のお子さんはまったく違うタイプだそうで、塾には行ってはいますが、最終的には受験をするかどうかはまだわからないとおっしゃいます。親の思いが先行しがちな中学受験にあって、「あくまでも子どもの問題である」という姿勢が印象的で、好感をもちました。(教育ジャーナリスト 中曽根陽子)