メリハリのある指導とは[中学受験]
個人指導と集団指導にはそれぞれ長所がある。たとえば個別指導の長所は、とにかく生徒と対話形式で授業が進められるということである。わからないところを解説し、わかったと思ったらチェックしてみる。一つひとつを確実にしながら教えていけるから、ムダなく授業が進められる。こんな個別の長所を無駄にする、一方的な解説授業を指導者が行っていたらすぐに改善すべきであろう。
「メリハリ」という言葉があるが、意味は「ゆるめることとはること」だ。メリハリのある授業をしようとするなら、「ゆるめたりはったり」することが大切なのだ。それでは生徒をどこでゆるめ、どこではるのか? あるいはそれらはどのくらいの頻度で行うべきなのか?
これらはその生徒の年齢や意欲にもよるので一概には言えないと思うが、たとえば小学6年生でも30分緊張し続けるのはつらいと思う。つまり同じ様な説明を30分されたら、「考える力」や「集中力」は切れてしまうということである。ただし「同じことを続ける」のではなく、違ったことをやるのであれば目先の新しさも手伝い、ずいぶんと集中力を持続できる。
たとえば新しい単元の説明を10分したら、次は演習を15分行い、最後に解答の解説に10分というぐあいだ。次々に新しい作業を加えることで、適度な刺激が学習に加わり、飽きることはないと思う。そして30分を過ぎたころに小さな休憩を入れて、気分を新たにもう30分集中するのである。そして1時間から1時間30分たったら10分程度の休憩をする。
今まで学習していたのが算数であれば、そろそろ算数に飽きてきて集中力がなくなる頃であろうから、他の国語や社会などに科目を変えて、新しい気分で勉強を再開するのである。これがメリハリのある学習と言えるであろう。
一つ覚えておいてほしいのは、教える側も疲れるが、聞いている側も疲れるということ。いや、教えてもらっているほうがある意味ではもっと疲れる可能性がある。特にわかりきっていることや、逆にまったくわからないことをわからないまま説明され、「わからない」とは言えないで我慢して聞いているのはなんともつらいことだ。
それでは、教えてもらう側が最高に喜ぶ教え方とはどんなものであろうか? それは生徒が一生懸命考えて考えて、それでもわからなかったことを「見事にわからせてくれる」ことなのではないか? こういった解説は、生徒は実にどん欲に聞くものである。そして「わかった!」という確かな手応えを得た時に、あのなんともすばらしい顔を見せてくれるのである。
そのためにはどうしたら良いのか? それは「困らせること」つまり、生徒が「その問題に対して本当に知りたい」と思うまで、先生は教えることを我慢するのだ。だから「教えない」ことが大切なのである。
「メリハリ」という言葉があるが、意味は「ゆるめることとはること」だ。メリハリのある授業をしようとするなら、「ゆるめたりはったり」することが大切なのだ。それでは生徒をどこでゆるめ、どこではるのか? あるいはそれらはどのくらいの頻度で行うべきなのか?
これらはその生徒の年齢や意欲にもよるので一概には言えないと思うが、たとえば小学6年生でも30分緊張し続けるのはつらいと思う。つまり同じ様な説明を30分されたら、「考える力」や「集中力」は切れてしまうということである。ただし「同じことを続ける」のではなく、違ったことをやるのであれば目先の新しさも手伝い、ずいぶんと集中力を持続できる。
たとえば新しい単元の説明を10分したら、次は演習を15分行い、最後に解答の解説に10分というぐあいだ。次々に新しい作業を加えることで、適度な刺激が学習に加わり、飽きることはないと思う。そして30分を過ぎたころに小さな休憩を入れて、気分を新たにもう30分集中するのである。そして1時間から1時間30分たったら10分程度の休憩をする。
今まで学習していたのが算数であれば、そろそろ算数に飽きてきて集中力がなくなる頃であろうから、他の国語や社会などに科目を変えて、新しい気分で勉強を再開するのである。これがメリハリのある学習と言えるであろう。
一つ覚えておいてほしいのは、教える側も疲れるが、聞いている側も疲れるということ。いや、教えてもらっているほうがある意味ではもっと疲れる可能性がある。特にわかりきっていることや、逆にまったくわからないことをわからないまま説明され、「わからない」とは言えないで我慢して聞いているのはなんともつらいことだ。
それでは、教えてもらう側が最高に喜ぶ教え方とはどんなものであろうか? それは生徒が一生懸命考えて考えて、それでもわからなかったことを「見事にわからせてくれる」ことなのではないか? こういった解説は、生徒は実にどん欲に聞くものである。そして「わかった!」という確かな手応えを得た時に、あのなんともすばらしい顔を見せてくれるのである。
そのためにはどうしたら良いのか? それは「困らせること」つまり、生徒が「その問題に対して本当に知りたい」と思うまで、先生は教えることを我慢するのだ。だから「教えない」ことが大切なのである。