吉原由香里さん(棋士)が語る、「考える力を育てる」【前編】

子どもの適性を見いだし、考える力を養うにはどのようなことが必要なのでしょうか。
漫画『ヒカルの碁』の監修、東京大学特任准教授として「囲碁で養う考える力」の授業も担当するなど、幅広く活躍している囲碁棋士であり、3歳になる男の子の母親でもある吉原由香里さんに、ご自身の経験をもとに伺いました。

父と一緒に始めた囲碁

囲碁を始めたのは、6歳の時です。それまでも、ピアノや水泳、書道を習っていたのですが、6歳の6月から習い事を始めるとよいということを父が知っていて、何か変わったことをさせたいと思ったようです。
父は亡くなってしまったので、なぜ囲碁だったのか、もう聞くすべがないのですが……。何事にも研究熱心な父でしたから、私に習わせる前にいろいろ調べたと思います。当時の囲碁人気は今より高く、女性の棋士は少なかったので、「将来、娘がプロになれば活躍できる」と思ったのかもしれません。
それに、私は昔から負けず嫌いなので、勝負事が向いていると考えたのでしょうね。幼稚園年長の時、水泳を始めたばかりなのに25mを泳ぎきろうとして、何度も沈みながら死に物狂いでゴールしたことがあるそうです。でも、それ以外は外遊びの好きな、ごく普通の子どもでした。

父は私と一緒に囲碁を始め、ルールブックを片手に教えてくれました。父も初心者ですから教え方がうまいとは言えず、「そんな攻め方は効率が悪い」などと叱られると、子ども心に納得がいきませんでしたね(笑)。でも、子どもの囲碁教室に通うようになってから、私の「負けじ魂」に火がつきました。教室で出された囲碁の問題を、私だけ解けなかったんです。それはもう、強烈に悔しくて。その問題の図は、いまだに覚えています(笑)。それ以来、「絶対に理解してやる!」って気合いが入ったのです。



「この子はもっと強くなれる」

中学2年生の時、加藤正夫九段に「弟子にならないか」と声をかけていただいたのが、私の転機だと思います。加藤先生は、野球でいえばイチロー選手みたいなかたでしたから、「私、天才じゃないの!?」とすっかり舞い上がってしまいました(笑)。でも、その時は知らなかったのですが、「弟子入り」とは事実上プロをめざす道に入るということです。弟子入りしてからは、先生のご自宅に月・水・金と通い、土・日はプロ養成機関で対局、火・木はプロの対局を観戦と、学校以外はほぼ「碁」一色の日々が始まりました。

加藤先生は優しいかたでした。お話しぶりもとつとつとしていて、一見そんなすごい先生には見えない。でも、そばにいると、何かをひたむきにやってきた人だけがもつオーラを感じました。
先生は父のように過剰な期待はせず、対局で負けても叱ったりしませんでしたが、どんな時も私の中にある「いちばんよいところ」を見つめていてくれたように思います。言葉には出さないけれど、「この子はもっともっと強くなれる」と信じてくれている。それが伝わってくるので、私も自然と真剣になりました。



突破口を開くための「感覚」を育てる

加藤先生の教え方は、徹底的に「考えさせる」指導でした。対局のあと、ポイントとなる一手について「ここはこう打ったほうがいいんじゃないかな」と指摘してくれる。そして、相手の立場で考えさせる。その手を打たれると相手はどう困るのか。相手が別の方法で攻めてきた場合、どんな対応が考えられるか。さまざまな可能性を深く考えさせてくれるんです。一つの「正解」を教えるだけでなく、勝ちにつながる「よい形」の感覚を育ててくれたのだと思います。その感覚は、ファッションでいえば「美学」に似ているかもしれません。定番の着こなしを教えるだけでなく、実際にさまざまな組み合わせを試させて、色や形の微妙なバランスのとり方、外し方を体感させるのに近いといえます。

加藤先生は穏やかな人柄に似合わず、囲碁では強気でガンガン攻めていくタイプで、「殺し屋」という異名をとったこともあるそうです。でも、先生は決して弟子を自分の色に染めたりせず、その人のよさが最も発揮できるように教えていました。
今、教える立場になって、先生の偉大さを痛感しています。加藤先生のような指導はとてもできませんが、まずは生徒さんに克服したい課題を聞き、その対処法を体感してもらうようにしています。たとえば「攻められた時の対処法を学びたい」と言われたら遠慮なく攻めてあげたり(笑)。さまざまな局面を体感するのは、考える力を養うためにとても大切なことです。



別の世界を見て、進路に迷う

すばらしい師匠と共に学ぶ兄弟子たちがいる、という囲碁をめぐる環境を、私はとても気に入っていました。私は一人っ子でしたから、ずっとお兄ちゃんがほしかったんですね。碁を打っていると、話をする以上にお互いの性格がよくわかってくる。14歳からの付き合いですから、今でも兄弟子たちは本当の兄弟以上の存在です。

とはいえ、囲碁そのものが好きかどうかは考える暇もなく、中学3年からプロ試験を受け始めました。プロ試験には23歳までという年齢制限があり、合格者は毎年数名という狭き門です。私は毎年、受けては落ち続けました。やがて「この一手で将来が決まる」と思うと、打つのが怖くてたまらなくなりました。それに、中・高時代は遊びたい盛りです。友達に彼氏ができたりすると「なんで私だけこんな地味な世界で……」と思ったりもしましたね。

囲碁棋士は若い頃からプロをめざして突き進み、進学しない人が多いのですが、私は大学に進みました。別の世界を見たかったし、なにより大学生活が楽しそうに思えたんです。彼氏がほしいし、合コンとかもしてみたい(笑)。もちろん勉強もしなくちゃならない。そうなると、だんだん囲碁のほうはおろそかになってきます。私はこのまま勝負の世界で生きていけるだろうかと悩み、加藤先生のところも無断で休むようになりました。
大学生活を思いきり楽しんだことは「回り道」だったかもしれません。でも、囲碁の世界だけしか知らなかったとしたら、私は精神的に持たなかったでしょう。回り道も大切な時間だったと、今なら思えます。

【後編】では、進路を決意したきっかけとその後の転機、ご自身の子育てと「考える力」について伺います。

『囲碁ビギナーズ 13路盤で最速上達(NHK囲碁シリーズ)』
(吉原由香里・王唯任・万波 佳奈著、NHK出版)

プロフィール



囲碁棋士。慶応義塾大学環境情報学部卒業。2007潤オ09年連続して女流棋聖のタイトルを獲得。NHK囲碁講座の司会や漫画『ヒカルの碁』の監修を手がけ、東京大学特任准教授として「囲碁で養う考える力」の授業を担当。囲碁普及プロジェクト「IGO AMIGO」幹事。

お子さまに関するお悩みを持つ
保護者のかたへ

  • がんばっているのに成績が伸びない
  • 反抗期の子どもの接し方に悩んでいる
  • 自発的に勉強をやってくれない

このようなお悩みを持つ保護者のかたは多いのではないでしょうか?

\そんな保護者のかたにおすすめなのが/
まなびの手帳ロゴ ベネッセ教育情報サイト公式アプリ 教育情報まなびの手帳

お子さまの年齢、地域、時期別に最適な教育情報を配信しています!

そのほかにも、学習タイプ診断や無料動画など、アプリ限定のサービスが満載です。

ぜひ一度チェックしてみてください。

子育て・教育Q&A