吉原由香里さん(囲碁棋士)が語る「回り道も大切な時間」
漫画『ヒカルの碁』の監修、東京大学特任准教授として「囲碁で養う考える力」の授業も担当するなど、幅広く活躍している囲碁棋士であり、3歳になる男の子の母親でもある吉原由香里氏。囲碁を始めてから、今に至るまでの道筋をお話しいただいた。
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囲碁を始めたのは、6歳のときです。6歳の6月から習い事を始めるとよいというのを父が知っていて、何か変わったことをさせたいと思ったようです。父は私と一緒に囲碁を始め、ルールブックを片手に教えてくれました。父も初心者ですから教え方がうまいとは言えず、「そんな攻め方は効率が悪い」などと叱られると、子ども心に納得がいきませんでしたね(笑)。
中学2年生のとき、加藤正夫九段に「弟子にならないか」と声をかけていただいたのが、私の転機だと思います。でも、「弟子入り」とは事実上プロを目指すことだと、その時は知らなかったのです。先生のご自宅に月・水・金曜日と通い、土・日はプロ養成機関で対局、火・木はプロの対局を観戦と、学校以外はほぼ「碁」一色の日々が始まりました。加藤先生はやさしいかたですが、何かをひたむきにやってきた人特有のオーラがありました。そして言葉には出さなくても「この子はもっともっと強くなれる」と信じてくれるのが伝わってきて、私も自然と真剣になりました。
加藤先生の教え方は、徹底的に「考えさせる」指導でした。一つの「正解」を教えるだけでなく、勝ちにつながる「よい形」の感覚を育ててくれたのだと思います。さまざまな局面を体感するのは、考える力を養うためにとても大切なことです。加藤先生は穏やかな人柄に似あわず、囲碁では強気でガンガン攻めていくタイプで、「殺し屋」という異名を取ったこともあるそうです。でも、先生は決して弟子を自分の色に染めたりせず、その人のよさが最も発揮できるように教えていました。
囲碁棋士は若い頃からプロを目指して突き進み、進学しない人が多いのですが、私は大学に進みました。別の世界を見たかったし、何より大学生活が楽しそうに思えたんです。大学生活を思い切り楽しんだことは「回り道」だったかもしれません。でも、囲碁の世界だけしか知らなかったとしたら、私は精神的にもたなかったでしょう。回り道も大切な時間だったと、今なら思えます。
出典:吉原由香里さん(棋士)が語る、「考える力を育てる」【前編】 -ベネッセ教育情報サイト