日本大学 文理学部 国文学科(2) 若いからこそ見えることがある[大学研究室訪問 学びの先にあるもの 第14回]
日本大学 文理学部国文学科(2)
若いからこそ見えることがある
日本が転換期を迎えた今、大学や学部をどう選び、そこで何を学べば、お子さまの将来が明るく照らされるのでしょうか。連載14回目は、方言などの研究をしている日本大学の田中ゆかり教授の研究室です。日本語から社会の変化を描き出す研究手法などを語っていただいた前回に引き続き、学生への指導にも影響している先生自身の研究者人生や、高校生までにすべきことなどについて伺いました。
文献に記された言葉より「生きた言葉」に関心が
私の学部生時代(1980年代前半)の日本語学(当時は「国語学」)は、文献などに記録された言葉の研究が中心的で、漠然と「言葉を通じて今を切りとりたい」と考えていた私は、心の片隅に、しっくりこない感覚も持っていました。しかし、幸いなことに先生が、「あなたこういうのが好きそう」と、今まさに変化しつつある「生きた言葉」を取り扱った当時の最新の研究をあれこれご紹介くださり、「こういうのも研究として“アリ”なんだ! 楽しい!」と思いました。これが、言語研究、とりわけ新しい言語事象についての研究に心をとらわれたきっかけです。
生きた方言を教えていただくフィールドワーク調査
一般的には、年齢を重ねた経験豊富な研究者こそ、価値ある研究を生み出せると思われているかもしれません。もちろんそういう一面は否定できません。しかし、若い学生の新鮮な目にこそ、見えるものがあります。学生が、普段、何気なく感じていることや、やっていることの中にこそ、これまでの常識を越えた、何か新しい発見が隠されている可能性があります。だから、学生たちには、恐れず、自信を持って研究に取り組んでほしいと願っています。
新聞記者の経験が研究に役立っている
私は大学卒業後、新聞記者になりました。日本語の研究には興味があったし、大学院に進むことも考えましたが、新聞記者は子どものころからのあこがれだったのです。高校は新聞部が強いという理由で選んだくらいなので、せっかく内定をいただいたのに辞めたら後悔すると思い、そちらの道を選びました。結局3年後、やはり日本語の研究をメインにしたいと思い、新聞社をやめて大学院に入りましたが、事件、政治、経済などの現場に行き、いろいろな人・事・物に出会った経験は、今でも貴重な財産です。
新聞記者と研究者はタイプの異なる仕事と思われがちですが、私自身は、めざすことにそれほど大きな違いはないと思っています。新聞記者は広く世の中のさまざまな事柄を取材し、日本語学研究者は日本語に関連した事柄を調査するという、対象の「間口の広さ」に違いはあります。しかし、どちらもそれを通して社会を読み解こうとしているというスタンスには、変わりはないように思えます。私自身の転職経験を踏まえると、関係ないようなことも、だいたいのことはつながっているといえるように思います。学生たちに、大学で自身がやり遂げた研究は、いつかあなたの人生で役に立つかもよ、と言っているのは、そんなところからかと思います。
高校時代の有り余るほどの時間を大切に
高校時代には、できるだけ広く、さまざまなことを学ぶべきです。文系の大学に進学するからと、早い段階で理科や数学を「捨てる」人は少なくありませんが、たとえば私の研究室では、データを分析するために高校レベルの数学の知識や技能は必要です。英語が苦手だから日本語学という学生もいますが、苦手なりに英語を学ぶことで養われた新しい世界観は、日本語の研究にも生かされます。
自分の高校時代を振り返ると、びっくりするくらい時間があったと思います。当時はそれなりに忙しいと思っていましたが、勉強、部活、習い事などをやってもなお、友達とべちゃくちゃしゃべったり、本やマンガを読んだりする時間がたっぷりありました。だから、今の高校生の皆さんにも、いろいろなことにアンテナを張って、吸収してほしいし、保護者の皆さんには「やってみなはれ」精神で温かく見守っていただきたい。大学生や社会人になってから、その経験がきっと、どこかで役に立つ時がくると思います。
卒業生に聞きました! |
岡部悠也さん(4年、埼玉県出身) |
北 瑛理奈さん(4年、神奈川県出身) |