世界遺産に登録された富士山について知る
2013年6月、富士山の世界遺産登録が決まりました。富士山は、日本のほぼ中央にそびえる日本でいちばん高い山で、古くから日本人の心のふるさととされたり、信仰の対象となったりし、絵画や文学などの芸術作品もたくさん生み出されてきました。世界遺産は中学入試ではおなじみのテーマであり、新しく登録された富士山も取り上げられることが予想されます。そこで今回は、そんな富士山についてさまざまな角度から紹介していきましょう。
クイズde基礎知識
富士山はどんな世界遺産?/「田子(たご)の浦ゆ~」の歌を詠んだのは誰?/『富嶽(ふがく)三十六景』の作者は?/「宝永(ほうえい)噴火」はいつ?/環境のため山小屋や山頂に導入されたものは?
時事問題を学ぶきっかけになる題材をクイズ形式でご紹介します。基本情報の整理に、親子で時事問題について話題にするきっかけに、入試・適性検査対策に、お役立てください。
Q1
富士山は、どんな世界遺産として登録された?
A.文化遺産
B.自然遺産
C.複合遺産
A1 正解は 「A.文化遺産」 です。
世界遺産は、UNESCO(国際連合教育科学文化機関)が世界的に際立って優れた文化資産や自然環境を登録し、保護していく活動で、「文化遺産」、「自然遺産」、文化遺産と自然遺産の両方の価値を兼ね備えている「複合遺産」があります。
富士山は当初、自然遺産としての登録がめざされていました。しかし、富士山を自然という観点から見ると、すでに世界遺産に登録されている世界の他の火山と比べて顕著な特徴に乏しく、また、古くから人間によって利用されてきたため、本来の自然ではないところもあります。そのため、UNESCOに推薦するための国内の候補地としても認められませんでした。
しかし、富士山には自然だけではなく文化としての価値もあります。浅間(せんげん)神社が創建されて信仰の対象となっている他、短歌、俳句、絵画などにも富士山を題材にしたものがたくさん残されています。こうしたことから、自然遺産ではなく文化遺産として世界遺産登録をめざす活動が始まり、2007年に日本国内の候補地の一つとして「暫定リスト」に登録されました。そして、周辺の湖などを含めた「富士山?信仰の対象と芸術の源泉」として、2013年6月の世界遺産委員会で登録が認められました。
世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産/構成要素
※ウェブサイト「フジヤマNAVI」を参考に作成。 http://www.fujiyama-navi.jp/fujisan/heritage/
Q2
「田子の浦ゆ うち出でて見ればま白にそ 富士の高嶺(たかね)に雪は降りける」という歌を詠んだのは誰?
A.山部赤人(やまべのあかひと)
B.柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)
C.紀貫之(きのつらゆき)
A2 正解は 「A.山部赤人」 です。
富士山は古くから短歌などの文学作品の題材となってきました。なかでもよく知られているのが、日本最古の歌集『万葉集』(奈良時代に成立)にある「田子の浦ゆ うち出でて見ればま白にそ 富士の高嶺に雪は降りける」という歌です。富士山をたたえる長歌を受ける反歌(はんか)として掲載されているもので、「田子の浦を通って見晴らしのいい所へ出てみると、真っ白に、まあ、富士の高嶺に雪が降り積もっていることだ」という意味です。作者は奈良時代の歌人・山部赤人で、『万葉集』に長歌13首、短歌37首が収められています。
田子の浦とは駿河国(するがのくに、いまの静岡県)の地名で、現在も富士市に同じ地名がありますが、詠まれているのはそこから少し離れた地域だとする説もあります。百人一首にも収録されて有名な「田子の浦に うち出でてみれば白妙(しろたえ)の 富士の高嶺に雪はふりつつ」は、この歌をもとにしたものです。
Bの柿本人麻呂は飛鳥時代の人で『万葉集』の代表的な歌人、Cの紀貫之は平安時代の人で『古今和歌集』の編纂(さん)で知られる歌人です。
Q3
『富嶽三十六景』の作者は?
A.喜多川歌麿(きたがわうたまろ)
B.歌川広重(うたがわひろしげ)
C.葛飾北斎(かつしかほくさい)
A3 正解は 「C.葛飾北斎」 です。
『富嶽三十六景』は、江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎の代表作で、各地から望む富士山の姿が描かれています。36枚が発表された後、「裏富士」と呼ばれる10枚が追加され、計46枚となりました。
北斎が70歳を過ぎてから発表され、朝日に染まった赤富士と呼ばれる姿を大きく描いた「凱風(がいふう)快晴」、大きな波の中を行く舟の向こうの遠くに小さく富士山が見える「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」など、さまざまな場所から望む富士山が、さまざまな描き方で表現されており、日本だけでなく、ゴッホやモネなど、世界の画家にも大きな影響を与えました。
Aの喜多川歌麿は「寛政三美人」などで知られる浮世絵師、Bの歌川(安藤)広重は「東海道五十三次」などで知られる浮世絵師です。
Q4
富士山で「宝永噴火」と呼ばれる大きな噴火が起きたのはいつ?
A.約1000年前
B.約600年前
C.約300年前
A4 正解は 「C.約300年前」 です。
富士山は古くから活発な噴火をくり返してきました。最も近い噴火が、今から約300年前の1707(宝永4)年に起きた「宝永噴火」です。この年の10月、東海地方から四国に及ぶ広い地域で、大きな地震が発生しました(宝永地震)。それから約1か月半後に、富士山の南東斜面の山腹から爆発的な噴火が発生して16日間続き、噴煙は高度1万メートルを超え、火山灰は江戸でも数センチメートル降り積もりました。現在、富士山の静岡県側の中腹にある大きなくぼみはこの時にできた「宝永火口」で、その隣にある小山は「宝永山」といいます。
宝永山と宝永火口(『活火山 富士山がわかる本』国土交通省富士砂防事務所発行 より)
宝永噴火以外にもう一つ、よく知られている噴火が平安時代の864(貞観6)年に起きた「貞観(じょうがん)噴火」です。この噴火は富士山の一合目から二合目付近で起きて真っ赤な溶岩流が数か所からあふれ出し、2か月以上にわたって広がりました。この時の溶岩が冷えて固まった上に発達した大森林が「青木ヶ原樹海」です。また、当時は富士山の周辺には現在の本栖(もとす)湖、河口湖、山中湖の他、「せのうみ」と呼ばれる大きな湖の計4湖がありましたが、「せのうみ」の大部分が溶岩で埋められ、小さな2つの湖が残されました。それが現在の精進(しょうじ)湖と西(さい)湖です。
Q5
富士山の環境を守るため、山小屋や山頂に導入されたものは?
A.バイオトイレ
B.水洗トイレ
C.汲み取り式トイレ
A5 正解は 「A.バイオトイレ」 です。
富士山には毎夏、たくさんの登山者が訪れます。水の確保が難しいことなどから、山小屋や山頂のトイレは水洗化が難しく、汲み取り式のまま、登山者のし尿を山肌に垂れ流して処理していました。その量は自然の浄化能力をはるかに超え、山肌に白く川のような跡が残るほどで、美観を損ねるだけでなく、悪臭や地下水の汚染などの原因にもなり、大きな問題となっていました。
しかし、微生物によって汚物を処理して有機肥料にする「バイオトイレ」が開発され、山小屋や山頂のトイレに導入されて、かつてのように山肌に白い川が残るようなことはなくなりつつあります。