復帰40年や基地問題で注目の沖縄について知る

2012年5月15日、沖縄は日本復帰40年を迎えました。沖縄は、アジア・太平洋戦争の戦場となって多くの犠牲者を出し、その後も27年間、アメリカに占領された歴史を持っています。今もアメリカ軍の基地が集中し、多くの問題を抱える一方で、豊かな自然と独自の文化をもっており、節目の年を迎えた直後の2013年度の中学入試では、多くの学校で取り上げられると予想されます。そこで今回は、そんな沖縄について解説しましょう。



クイズde基礎知識

沖縄の昔の王城の名前は?/琉球王国を攻めた日本の藩は?/アジア・太平洋戦争の際、沖縄に上陸したのはどこの国の軍隊?/沖縄にあるアメリカ軍基地の割合は?/移設協議が難航している基地があるのは?


時事問題を学ぶきっかけになる題材をクイズ形式でご紹介します。基本情報の整理に、親子で時事問題について話題にするきっかけに、入試・適性検査対策に、お役立てください。

Q1

城跡が世界遺産にも登録されている沖縄の昔の王城の名称は?


A.首里城
B.白鷺城
C.紫禁城


A1 正解は 「A.首里城」 です。

沖縄は昔、琉球王国という独立した国でした。15世紀前半に生まれ、中国(明)に貢物を送る朝貢貿易を行ったほか、日本、朝鮮、東南アジアの国々と交易し、輸入した品々を他の国に輸出する「中継貿易」によって栄えていました。

そんな琉球王国には、国際色豊かな独自の文化が育ち、各地に残された遺跡の数々が、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界文化遺産に登録されています。琉球王国の中心となった首里城跡もその一つで、戦争によって建物は失われましたが、現在では復元が進められています。

Bの白鷺城は世界文化遺産に指定されている姫路城(兵庫県)の別名、Cの紫禁城は中国・北京にある中国の皇帝たちが暮らした宮殿で、やはり世界文化遺産に登録されています。


Q2

江戸時代に琉球王国を攻めた日本の藩は?


A.長州藩
B.薩摩藩
C.土佐藩


A2 正解は 「B.薩摩藩」 です。


日本に江戸幕府が誕生して間もない1609年、薩摩藩(鹿児島県)が琉球王国を攻めました。 薩摩藩の大軍に敗れた琉球王国は、中国との朝貢貿易の利益を薩摩藩に握られ、砂糖の生産を支配されて、人々は苦しい生活を送ることになりました。

その後、江戸幕府に代わって生まれた明治政府は、1872年に琉球王国を琉球藩とし、1879年に藩を廃止して沖縄県を設置しました。約450年間続いた琉球王国はこうして滅び、日本の一部となりました。

地元の人たちの間では明治政府に対する反発も根強かったため、明治政府はゆるやかな改革を行い、少しずつ制度を変えていきました。学校では沖縄の言葉を使わず、標準語が使われるようになりました。


Q3

アジア・太平洋戦争の際、沖縄に上陸したのはどこの国の軍隊?


A.中国
B.韓国
C.アメリカ


A3 正解は 「C.アメリカ」 です。


アメリカ・中国などの連合国と日本との間で1941年に始まったアジア・太平洋戦争は、次第に日本が劣勢となり、1945年3月、アメリカ軍が沖縄に上陸してきて、激しい地上戦が行われました。たくさんの住民が「根こそぎ動員」として兵力に駆り出されました。女生徒によって組織された「ひめゆり学徒隊」などの看護隊が従軍し、病気やケガをした兵隊の看護にあたっていたため、多くの命が失われました。また、当時の日本では「降伏して敵につかまるのは屈辱的なことだ」と教えられたため、逃げ場を失った多くの人たちが自ら命を絶つ集団自決を強要されたともいわれます。

1945年6月23日には日本軍の司令官が自殺し、組織的な戦争は終わりました(沖縄県ではこの日を「慰霊の日」として休日にしています)。しかし、その後も生き残った日本軍の兵隊が沖縄の各所で抵抗を続け、日本が降伏した8月15日の後の9月7日にようやく、アメリカ軍との間で降伏文書が交わされました。長い戦いの中で、約50万人の島民のうち10万~15万人が犠牲になったといわれます。


Q4

沖縄県にあるアメリカ軍基地の面積は、日本全体のアメリカ軍基地の面積のうちどれくらい?


A.約3分の1
B.約2分の1
C.約4分の3


A4 正解は 「C.約4分の3」 です。

1951年、日本とアメリカの間でサンフランシスコ平和条約が結ばれ、占領下から主権が回復されました。しかし、沖縄は小笠原諸島などとともに日本の領土として認められず、アメリカに占領されたままとなりました。また、サンフランシスコ平和条約と同時に結ばれた日米安全保障条約では、日本とアメリカの安全を保障するため、日本にアメリカ軍基地を置くことなどが決められました。

アジア・太平洋戦争の後、アメリカはソ連と対立するようになり、アジアで行われた朝鮮戦争やベトナム戦争では、アメリカとソ連が間接的に戦いました。沖縄はアメリカ軍にとってそうした戦争のために都合のよい場所にあったため、たくさんの基地がつくられました。アメリカ軍兵士による事故や事件も起きて、住民たちは苦しい思いをしていました。

こうした事態に憤った沖縄の人たちは、「島ぐるみ闘争」と呼ばれる抵抗運動を起こしました。そして1971年に沖縄返還協定が調印され、1972年には沖縄の日本への復帰が実現しました。しかし、アメリカ軍基地は残されたままです。沖縄県の面積は日本全体の約0.6%ですが、日本全体にあるアメリカ軍基地の面積の約4分の3が沖縄県に置かれています。


Q5

一度は移設が決定したものの、計画が見直されて協議が難航している基地があるのは?


A.普天間
B.辺野古
C.徳之島


辺野古・普天間・徳之島の位置

A5 正解は 「A.普天間」 です。

沖縄県宜野湾市普天間にあるアメリカ軍基地の普天間飛行場は、住宅地が近いことなどから、とても危険と言われています。このため、移設に向けた協議が日本とアメリカの間で行われ、沖縄県名護市辺野古周辺への移設という方向で検討が進められていました。

2009年に成立した民主党の鳩山由紀夫内閣は、この方針を改めて、アメリカ軍基地の沖縄県外移設を約束し、鹿児島県徳之島や国外などが候補として挙がりました。しかし、アメリカ軍が難色を示し、移設先も見つからなかかったため、断念しました。従来の候補地だった辺野古周辺住民らの反対運動も激しくなり、問題の解決は難しくなっています。




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