ムダなことがいずれ生きてくる[こんな夏休み後半を過ごしてみては? 第2回]
ムダなことがいずれ生きてくる
●「ムダな時間を潤沢に過ごした」自信
前回の、保護者からの「夏休み短縮要望」もそうですが以前にくらべて、今の保護者のかたは無意識のうちに「効率」よく、事を運ぶことに比重を置いているような気がします。
塾選びでも、我が子に合った勉強や志望校に即した勉強を、ということで、集団指導の塾より個別指導塾に通わせるご家庭が多くなっています。
修学旅行にも塾の教材を持って行かせる、志望校で過去に一度も出題されていない単元は捨てる、受験教科以外の教科にはあまり関心を示さない……そうしたケースが目に付きます。
我が子が将来巣立っていく社会が、あまりにも不透明で厳しそうだから、せめて学歴だけでも付けておいてあげたい、そうした心理が保護者のかたになんとなく焦りを生んでいることはわかります。
しかし、長い人生を考えてみると「効率」が必ずしもいいとは思えないのです。
自分の例えで恐縮ですが、昨年東日本大震災で崩れた本棚を何十年ぶりに整理してみたら、中高時代はまさに役に立たない、利益にもならない、実用的でない……実社会から遠く離れた、観念的な本を読んでいたことがわかりました。
これらの本が、その後の自分に、即座にプラスになったとは思いませんが、「ムダな時間は実は潤沢な時間であった」と、なんとなく自信につながっているような気がするのです。
そうしたムダな時間の中で、自分がやっていて飽きないこと、案外苦労なくできること(向いていること)、今人に語れること……が身に付いたように思います。
●「1日切符」で街歩き
またまた自分の話で恐縮です。私は子どものころからブラブラと知らない街を歩くことが好きでした。当時、東京23区内のバス運賃は確か20円だったので、家が山手線内だったこともあり、そこらじゅうに出かけていました。
高校で23区すべてに足跡を記し、首都圏の鉄道の9割は乗車していたと思います(当時は「鉄道オタク」などという言葉もありませんから、全線踏破などという記録はまったく意識していませんでしたが)。
大学生になってからも放浪癖(?)は継続し、当時はやっていたユースホステル(若者向けの安い宿泊施設)を利用して、北海道からトカラ列島(ぜひ地図で場所を調べてみてください)まで足を運びました。
これらが、大学での勉強や就職に役立ったわけではありません。ですが今、仕事やプライベートで初対面の人に会った時など、フラフラあちこち歩いていたことがものすごく役立っていることを実感します。ムダな裾野が、人生を豊かにしてくれることもあるのではないでしょうか。
今お子さまが、関心を示していることがあったら、興味を抱いていることがあったら、ブレーキをかけず、ぜひさせておいていただきたいと、人生の先輩としては思うのです。