アフリカの今を知り、貧困や環境問題について考える

2011年、アフリカでは「アラブの春」とも呼ばれた北アフリカ各国での反政府運動、南スーダンの独立などのニュースが相次ぎました。このような出来事は知識として中学入試で問われるだけでなく、貧困や環境問題など、適性検査で取り上げられる課題について考える機会にもなります。そこで今回は、最近の主な出来事を知りながら、アフリカについて学んでみましょう。



クイズde基礎知識

2011年8月に長期政権が崩壊した国の指導者の名前は?/アフリカ54番目の国家として誕生した国は?/ケニア出身のノーベル平和賞受賞者は?/アフリカの国境に直線が多いのはなぜ?/干ばつや食糧危機などで深刻な状況にあるアフリカ大陸東部の地域は何と呼ばれている?


時事問題を学ぶきっかけになる題材をクイズ形式でご紹介します。基本情報の整理に、親子で時事問題について話題にするきっかけに、入試・適性検査対策に、お役立てください。

Q1

2011年8月、長期政権が崩壊したリビアの元最高指導者の名前は?


A.カダフィ
B. ベン・アリー
C. ムバラク


A1 正解は 「A.カダフィ」 です。

アラビア半島周辺の、主にイスラム教を信仰する人たちが住むアラブ諸国は、原油や天然ガスなどの資源が豊富な地域です。しかし、それが貧富の格差などの原因となり、政治的に不安定な状態を生んでいます。特に北アフリカのチュニジア、エジプト、リビアは何十年にもわたって独裁政権が続いていました。

しかし、2010年12月から2011年にかけてチュニジアで起こった「ジャスミン革命」の成功をきっかけに、現在の政治に不満を持つアラブ諸国の民衆が次々に立ち上がり、「アラブの春」と呼ばれる大規模な反政府運動が発生しました。
Aのカダフィ大佐による独裁政権が続いていたリビアでも、2011年2月に起こった反政府運動が拡大し、カダフィに反対する人々による「リビア国民評議会」と呼ばれる暫定的な政府が結成されました。もともとカダフィ政権と対立していた欧米各国が軍隊を出動させるという動きもあり、8月には首都トリポリが攻め落とされ、42年間に及ぶカダフィ政権が崩壊したのです。カダフィは逃亡しましたが、10月20日に殺害されました。

Bのベン・アリーはチュニジアの元大統領、Cのムバラクはエジプトの元大統領で、どちらも長期独裁政権を続けていましたが、カダフィと同じく、このたびの大規模な反政府運動によって政権が崩壊しています。



Q2

2011年7月、アフリカ54番目の国家として誕生した国は?


A.エリトリア
B.ソマリア
C.南スーダン共和国


A2 正解は 「C.南スーダン共和国」です。

スーダン共和国・南スーダン共和国のある地域は、かつて北部はエジプト、南部はイギリスによって占領され、1899年からは両国によって共同統治されていた地域です。その後、南部で反乱が起きたのをきっかけに、1956年に独立してスーダン共和国となりましたが、政治経済の中心である北部が南部を支配する状態が続いたため、南部の住民の不満が強く、しばしば内戦が起きていました。

和平交渉の結果、2005年から6年間に限って南部の自治が認められました。そして、2011年1月に、スーダン共和国の一部となるか、独立国となるかを決める住民投票を実施し、7月9日、スーダン共和国から独立したアフリカ大陸54番目の国家として「南スーダン共和国」が誕生しました。国連への加盟も認められ、193番目の加盟国となっています。

住民たちにとっては長年の願いがかなったわけですが、電気、水道、道路、橋などの整備が遅れていること、豊富な原油を持っているけれど海外に輸出するためのパイプラインは北部のスーダン共和国にしかないこと、スーダン西部のダルフール地域でアラブ系の政府に反対するダルフール紛争が続いていること、独立後も南北の国境付近では衝突が続いていることなど、未解決のさまざまな問題を抱えてもいます。



Q3

2011年9月に亡くなった、ケニアのノーベル平和賞受賞者は?


A.エレン・サーリーフ
B.リーマ・ボウイー
C.ワンガリ・マータイ


A3 正解は 「C.ワンガリ・マータイ」です。

ワンガリ・マータイさんはケニア出身の女性環境保護活動家です。貧困に苦しむ女性たちと共に植林などを行う「グリーンベルト活動」をアフリカ大陸全土で推進してきました。政府による弾圧を受けながらも活動を続け、植えられた木は約4,000万本にもなりました。貧困からの脱却、女性の地位向上、ケニア社会の民主化にも貢献したとして、2004年に環境分野で初めて、またアフリカの女性としても初めてノーベル平和賞を受賞したのです。

マータイさんは2005年に来日した際、「もったいない」という日本語を知り、「もったいない」は、Reduce(ゴミ削減)、Reuse(再利用)、Recycle(再資源化)という 環境活動の3Rをたったひと言で表せるだけではなく、かけがえのない地球資源に対するRespect(尊敬の念)が込められている、と感銘を受けたそうです。そして、「もったいない」を、環境を守る世界共通語「MOTTAINAI」として広めることを決意し、さまざまな場で発信を続けてきました。

ABは、いずれも2011年度のノーベル平和賞を受賞したリベリアの女性です。Aのエレン・サーリーフさんは、2005年にアフリカで初めて民主的に選ばれたリベリアの大統領で、内戦が続いた国家を立て直し、女性の支援に力を注いできました。Bのリーマ・ボウイーさんは平和活動家で、宗派や民族を越えて女性たちをまとめ、サーリーフさんとも協力しながら非暴力(戦いなど暴力を使わないで権力に立ち向かうこと)による民主化運動に力を尽くしました。また、アフリカではありませんが中東・イエメンの人権活動家であるタワックル・カルマンさんも2人と共に2011年度のノーベル平和賞を受賞しており、紛争解決や民主化に対する女性の力が高く評価されました。



Q4

アフリカの国境に直線が多い理由として最も関連が深いのは?


A.世界最大のサハラ砂漠があること
B.世界最古の文明の一つされるエジプト文明をもつこと
C.ヨーロッパの国々によって植民地支配されていたこと


A4 正解は 「C.ヨーロッパの国々によって植民地支配されていたこと」です。

アフリカに古くから住んでいた民族には、国境は必要ありませんでした。広い大陸のあちこちにそれぞれの民族がまとまって暮らしていたからです。

しかし、アフリカに進出して植民地支配をしようと考えたヨーロッパの国々が、各地の支配権をめぐって激しく争った結果、1884年のベルリン会議などを経て、自分たちの都合でアフリカを分割していきました。その際、アフリカに古くから住んでいた民族の生活や文化については考えず、地図の上に線をひいて機械的に分割したため、多くの国境が直線になっているのです。

その後、カメルーンなど17か国が独立した1960年の「アフリカの年」を中心に、アフリカ各国が独立しましたが、直線でひかれた国境の多くはそのまま保たれました。そのため「異なる民族や宗教の人々が国内に同居している」「同じ民族・宗教なのに別の国に分かれている」などの状況が続き、今も内戦や混乱が続く大きな原因となっています。



Q5

2011年7月、国連が世界に向けて、アフリカのある地域の干ばつに対する支援をするよう呼びかけました。それは何と呼ばれる地域?


A.アフリカの牙(きば)
B.アフリカの角(つの)
C.アフリカの爪(つめ)


A5 正解は 「B.アフリカの角(つの)」です。

アフリカ大陸東部の、インド洋と紅海に向かって角のように突き出た地域を「アフリカの角」といい、エチオピア、エリトリア、ジブチ、ソマリア、ケニアの各国が含まれます。現在この地域は、ソマリアの内戦、エチオピアとエリトリアの紛争などの政治的に不安定な状態にあり、たくさんの人々が貧困や飢餓に苦しんでいます。

「アフリカの角」地域は、2010年秋からひどい干ばつに襲われ、家畜が死んだり食糧の値段が上がったりなどで、過去60年で最悪といわれる飢饉(ききん)が発生しています。

ソマリアでは、干ばつの影響を受け食糧を求めて移動してきた人々や、以前から続く内戦によって移動しなければならなくなった人々などが、国境に近いケニアの難民キャンプに大勢集まり、その多くが栄養失調にかかっているなど、深刻な状態になっているのです。

こうした状況を重く見た国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長が、2011年7月12日、国際社会に「アフリカの角」支援を強く要請する声明を出したところ、さまざまな国際機関や世界中の国々から支援が寄せられました。日本をはじめ多くの国々が、今後も「アフリカの角」地域への支援を続けていくと表明しています。



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