麻布中学校3年生 Rさん/栄光学園中学校2年生 Yさんのお母さま

■いつも兄の後を追っていた弟。成り行きで兄と同じ塾に5年生から入塾したが、それまでは学校のテストでも全く成績がとれない状態。本人が受験を真剣に考え始めたのは6年生になってから。

弟さんは、お兄さんの結果を見て受験を考えられたのですか?


弟は、5年生の夏期講習から兄と同じ塾に入れました。中学受験をさせようというより、たまたまその夏に長女の手術が決まっていて、私が家を空けなくてはならないことが多いと思ったので、「塾に行ってくれれば助かるな」というくらいの気持ちでした。
兄のときは何も考えずに塾を決めてしまったので、今回は一応いくつか塾を調べてみたりもしたのですが、結局兄弟割り引きもあるし…ということで、同じ塾に入れました。
でも、弟は兄と全く違っていて、3年生のときには、兄と一緒に他塾の入塾テストを受けても全く合格ラインに引っかからない、学校の学力テストでも点数が とれないという状態でした。長女や長男からは「ちょっとYの勉強見てあげたほうがいいよ」と私が言われるくらいで、チェックしてみると、例えばスイミーの文章を読んで、「魚たちはいろいろ考えたとありますが、何を考えたのですか。2つ書きなさい」という質問に「いろいろ考えた。いろいろ考えた。」と2つのカッコを埋めるような子だったのです。こんな調子なので、「何をいろいろ考えたかを聞いているのよ」と答え方から教えてあげないとわからないようでした。
学校では、足が速くて、泳ぎも得意だったけれど、特に目立つタイプではない。学校の先生からは「計算が速いですよ」などと言っていただいてもいましたが、とにかくテストで点がとれないのです。
例えば、先ほどのスイミーの問題で、「皆で集まってどんな形を作りましたか」という問いに、「大きな魚」と書かなくてはならないところを「マグロ」と書いてしまう。理由を聞いたら、「マグロが食べたかったから」と言うではありませんか。感性でとらえたことをそのまま書くような子でした。
主人は、「この子は発想がユニークだから」と言っていたのですが、私はちょっと心配でした。ともかく、あまり真剣に受験をさせようとは考えていませんでした。


それから、どのようにして栄光の合格をつかむまでに変化したのでしょうか?


5年の夏の入塾当初はいちばん下のクラスからのスタートでした。でも途中から算数はいちばん上のクラスに上げていただき、9月の夏期講習明けのテストでは、塾で1番の成績をとったのです。最初で最後でしたが、そんなことが励みになって、やがてすべての教科で上のクラスに入ることができるようになりました。個別に対応していただける塾だったので、子どもの良いところを伸ばしてもらえたのだと思います。

でも、兄と違って、絶対やらなくてはならないこともやらずに平気というタイプ。兄のときには塾に相談をしたこともあまりなかったのですが、弟の場合はちょくちょく先生に相談して、「先生、Yは受験に向いていますか? 向いていないのなら、早めに言ってくださいね。送り迎えも大変ですし」なんて言っていたくらいなのです。すると先生は「なんとかなると思いますよ」とかおっしゃっていましたが(笑)。

そんな彼が変わってきたのは、やはり兄が麻布に合格した頃から。「同じ学校を受けたい」と思っていたようです。でも半面、まだ自分にはそれだけの力がないと思っていて、そこから半年間、志望校を口に出して言えなかったのです。周囲の人から「Yくんもお兄さんと一緒の学校をめざしているの?」なんて言われることが、プレッシャーになっていたのかもしれません。

最後に志望校を決める面談で相談してみたところ、先生が「お兄さんと同じパターンでいきましょう」と言ってくださって、それを伝えたらたいそう喜んでいました。「先生が僕のことをそんなふうに見ていてくれたんだ」と思ってうれしかったのでしょう。
それからは明確に麻布をめざしてがんばり始めました。


ご家庭ではどのようにフォローされていたのでしょうか?


うちでは、皆がリビングに集まって動かないので、食卓が勉強机。今でもリビングに教科書を置いているんです。誰かが勉強している横で、他の人が平気でテレビを見ているという状態。
だから、勉強していても音につられてテレビのあるほうに行ってしまったり、家族が見たいテレビがあるときに受験生が帰ってくると、「もっと長く塾に行ってればいいのに」なんて軽口をたたきあったり。日常をそのままもち込んでいましたね。
姉は2年続けて受験生がいる生活につきあったので、「もういいかげんにしてほしい」と言っていました(笑)。また、ホームステイをしていたイギリス人も子どもたちの勉強の様子を見て、「日本の子どもに生まれなくて良かった」と言っていましたね。

勉強は基本的には自分でやるのですが、兄のときはなにしろ覚えなくてはならないことが山盛りだったので、私が昼間予習をしておいて問題を出したりしていました。弟もその様子を見ていたので、「僕のときもお願いね」と言っていました。でも、いざそのときになると、ベッドの横で私が解説をしているのに、本人は夢の中という状態が多かったですね。
こうして親子で一緒に勉強に取り組むことができて、とてもいい経験でした。おかげさまで、私もかなり社会には詳しくなって、「麻布・栄光の過去問は任せて」と身内に話していました。
弟については、先生も大丈夫とおっしゃるし、本人も希望しているので、麻布をめざしましたが、内心本当に大丈夫なのかと、不安だったこともあります。
でも慎重な選択をしたら、本人も易(やす)きに流れてしまうので、あくまでも強気でいくことにしたのです。幸い算数が得意だったので、本人にとってはそれが自信になっていました。塾も算数に力を入れていて、算数で点をとる方針だったので、ここまで伸びたのだと思います。小6の夏休みには灘中学の問題なども解けていました。麻布の過去問も、算数はかなり得点できていたので、「算数だけなら合格なのにね」といつも言っていました。もし他塾に通っていて、他の科目も同じようにこなすことを要求されていたら、ここまで伸びなかったと思います。

しかし、国語は相変わらずで、過去問でもびっくりするような解答を書いていました。読解の記述で、もっともらしく解答を書いているのですが、最後に先生のコメントが「お父さんは死んでいません」というものだったことも。この問題の正解は、亡くなったのはおじいさんだったのですが、本人はお父さんが死んだと思い込んでしまっていたのですね。

家庭学習に関しては、やっていないプリントの山ができていても平気な子で、私が言っても聞かないので、塾の先生に、「提出だと言ってください」とお願いしたりしていました。
また、地理に関しては「食卓に地図帳を広げて、クイズ感覚で家族を巻き込んで覚えるといい」といったアドバイスをもらって実行していました。このように、弟のときには塾の先生にマメに連絡をとって、何かあるとアドバイスをいただくようにしていました。塾の先生と信頼関係を築いて、仲良くなっておくことも大事だと思いますよ。


弟さんの受験本番はいかがでしたか?


兄のときとは違って、本当に大変でした。
出願は、1日麻布・2日栄光・3日学芸大附属世田谷と兄と一緒だったのですが、結果は正反対。3日の3時に麻布と栄光の発表があるので、学芸大附属の試験のあと、私と本人が麻布、兄が栄光と手分けして発表を見に行き、両方だめだったときのために、主人が聖光学院2次の出願のために待機していました。結果は両方不合格。それで主人が急いで出願をしたのです。しかもその日は雪で、結果を聞いて本人も涙するし、傘もささずに全身ずぶぬれで帰ってきました。本当に大変な一日でした。

4日に気を取り直して聖光の試験を受けに行ったら、同じ塾のお友達とばったり会って、互いに励まし合って一緒に受けました。そのとき、私も動揺していて時計を忘れてしまったのですが、在校生が貸してくれたのです。本当に助かりました。でも、ほとんど対策をしていなかったので、結果は不合格。

結局5日は、兄に付き添ってもらって逗子開成を受験しました。その間に学芸大附属の合格発表があり、ここでやっと合格をいただきました。本当にうれしかったです。
横浜で待ち合わせをして、おすしを食べて帰りましたが、やっとこれで終わったとほっとしました。帰宅後、「そもそもRのときから学芸大が気に入って受験を考えていたんだし、自分のこれからのがんばりしだいで、高校は学芸大の高校に上がるもよし、外部受験をするのもよしだね」と、話していたところ、4時頃電話が鳴ったのです。
主人からだと思って電話に出たら、栄光学園からのくり上げ合格の連絡でした。「はい、もちろん行かせていただきます」と即答してきったら、電話を聞いていた本人が「今まで学芸大がベストだと言っていたのに、すごい変わりようだね」とびっくりしていました。でも、本人もうれしそうでした。すぐに隣の家の栄光に通うお兄さんにも窓越しに合格を伝えると、すごく喜んでくれました。


プロフィール



教育ジャーナリスト、「登録スタッフ制企画編集会社<ワイワイネット>」代表。塾取材や学校長インタビュー経験が豊富。近著に『子どもがバケる学校を探せ! 中学校選びの新基準』(ダイヤモンド社)。

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