親が教えることのもう一つの意味[中学受験]

最近は中学受験生の我が子に勉強を教える親が、ずいぶん増えてきているようだ。書店に行くと、親が子どもに教えるための参考書やノウハウ雑誌もだいぶ増えてきたように思える。もともと人に何かを教えるというのは楽しい作業であり、それが我が子ともなれば楽しさは倍増する。
お子さまと共通の目標を追いかけ、うまく教えられれば「お母さん(お父さん)すごいね」という尊敬まで得られるわけだから、やりがいもあるだろう。もちろん感情的になりすぎて、「もういいよ!」と親子ゲンカになってしまう場合もある。
プロの先生のように何人も教えるわけではないから、教え方に迷うこともあるかもしれない。親が子に教える場合は、「親と子」である前に「先生と生徒」の関係を築く必要がある。これがないと「親の権威」や「子どもの甘え」が出てきてしまってなかなかうまく行かない。

私の父親は今年で84歳になるが、私の兄が中学受験をする時にかなり熱心に教えていた時期があった。もう40年以上も前の話で、その当時は私立中学校への受験熱も今日ほどではなかった。もちろん駅前のビルに塾は存在せず、あるとすれば大学受験のための予備校か、あるいは個人塾や家庭教師であったと思う。
ちなみに私の住んでいた町にいわゆる塾ができたのは、おそらく私が大学生のころだっただろう。夜の8時か9時ごろに、駅近くのビルから出てきたたくさんの小学生に遭遇して大変おどろいた記憶がある。「なぜこんな時間に、こんな多くの小学生が、こんな場所にいるの?」と考えたが、その時はまったく理解できなかった。ただただ夜の町を元気良く走り去る小学生に圧倒されるばかりだった。
父が兄の受験に熱を入れ出したのはそれよりも前の話だから、今から思えばずいぶんモダンなことをやっていたものだと感心する。なにしろ今のようにいろいろな参考書や問題集、ノウハウ本もない時代で、父親の手元には確か「完全学習」という参考書があるだけだった。

昔の父親というのは、今とは比べものにならないほど怖かった(と思う)。小さな会社を経営していた私の父親は、朝早く家を出て夜遅く帰ってくる。土曜日の半ドン(半日勤務)でも帰りは遅かった。私の父だけがまじめだったというより、日本全体が実に勤勉だった時代なのである。だから我々兄弟が父に会えるのは日曜・祝日だけだったが、休日になると父はほとんど寝ていた。結果としては、話す機会などあまりないことになる。
たとえば平日に遅くまで起きていると、「早く寝なさい。お父さんが帰ってきますよ」と、早く寝るように脅かされた記憶がある。そして「早く寝ないとマズイ」と思ってしまうほど、父親は怖くてうるさい存在だった。そんな父が息子に教えるわけだから、教えられる側の兄はたまったものではなかったであろう。
そしてその父親の教え方は、今振り返ってみると「これはやっちゃだめ!」のオンパレードであったような気がする。そんな兄のつらい日々も、いつの間にか終わりを告げた。父親の仕事が忙しくなったのか、あるいは自分に教える才能がないことに気が付いたのか、最後は教える仕事を他の人に任せたのであった。

兄としてもなかなか大変な経験だったと思うが、しかし一つだけ言えることは、大学生になり社会人になり、そして子どもを持つ親になってみれば、いろいろな意味で思い出に残る体験だったようである。親とのふれあいが今よりももっと少なかった昔だが、父親が気まぐれで息子の中学受験に携わったことは、息子にとってもあるいは父親にとっても大切な思い出になっているのではないかと思える。

プロフィール


小泉浩明

桐朋中学・高校、慶応大学卒。米国にてMBA取得後、予備校や塾を開校。現在は平山入試研究所を設立、教材開発など教務研究に専念。著作に「まとめ これだけ!国語(森上教育研究所スキル研究会)」などがある。

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