「学校選び」もう一つの視点 子どもたちが巣立つ社会を意識した授業形態になっているか [高校受験]
■主体的な能力が身につく学校を選ぶ
12月ともなると、実際にどこを受けるか、大いに迷われているかと思います。本番が迫ってくると、どうしても「合格の可能性」を考えて、偏差値中心に選ぶ保護者のかたが多いのが現実です。が、私のようにいろいろな学校を見ていると、それでは「もったいない」と感じます。レベルの違い以上に、学校は中身が大きく違うからです。今月は「合格の可能性」とは別の学校選びの視点をご紹介しましょう。
■これまでの授業は知識の伝達が中心
我が国の学校教育は、明治時代以来、教科面では主として各学問分野の研究成果を各学校段階に応じて易しく伝達するという機能を果たしてきました。そのために、授業はどうしても先生が「できるだけたくさんの知識を与え、それを理解させる」という一方通行のインプット中心の講義スタイルでした。保護者のかたが受けられた授業もみなそうだったと思います。
そのため生徒も、教えられたことを身に付けるという「受け身」の姿勢にならざるを得ませんでした。欧米という先行するモデルがあり、それを追いかければよかった時代、そしてそれで経済が順調に成長していた時代は、従来型の教育で問題はなかったのです。またこれまでは国内で完結する事柄が多く、海外交流は今ほど盛んではなかったように思います。
ところが、成長が止まり、社会が閉塞状況に陥った現在、従来型のインプット中心の教育では困難な状況を打開できる人間、海外の人と対等にやりあえる人間はなかなか生まれないことが課題となりました。
また、これまでは日本列島に住んでいる外国人は少なく、論理的に話さなくてもなんとなく「わかってもらえる」関係ばかりでした。ところが、どうでしょう。ご自分が子どものころにはいなかった外国人を、今は普通に街中で見かけるのではないでしょうか。
実は私は、安田教育研究所に近い東京都港区立六本木中学校の学校評議員をしています。今年、学校評議員会のあとで中1の1クラスの授業見学をしましたが、教室の壁に貼ってあった自己紹介シールを見ていて驚きました。33名のクラスで7名が外国名(姓が日本名でも名が外国名のケースも含む)。評議員になったばかりの2年前はこんなにもいなかったのが、この間でものすごく増えています。
■アウトプットの工夫をしているか
これからは好むと好まざるとにかかわらず、海外から来た異なる文化・背景を持った「論理的に説明しなければわかってもらえない」人と付き合っていかなければならなくなるのです。
保護者のかたは、今はまだ、安全・確実なレールに我が子を乗せたいと、大学受験を強く意識した学校を選ぶかたが多いと思います。
ですが、これから子どもが生きていく社会を考えれば、「教わることが勉強」と思っている子ではダメなのです。自分から積極的に学ぶという姿勢を持ち、「自分の頭で粘り強く考えられる思考力」、「相手に伝わるように説明できる表現力」といった主体的な「能力」を身に付けることが欠かせません。
確かに一定以上の知識がなければアウトプットすることもできませんから、一方通行の講義スタイルもありですが、それだけでなく、自分で探求しインプットしたものをグループディスカッションやみんなの前でプレゼンテーションする……そうしたアウトプットの工夫をしている学校かどうかに注目してはどうでしょう。
そうした姿勢がまったくない学校は、生徒たちが巣立つ「新しい時代を見据えていない」と思うのです。