声優 大谷育江さんから進級したキミへ
声優の大谷育江さんに、バレー部の経験で得たことや、挫折とどう向き合ったのかなど、今、中学生に伝えたいメッセージを伺ってきました。
声優 大谷育江さん
何がキッカケになるかはその人次第。涙がキッカケになる事もある!
小学生からの夢は舞台女優になること
わたしは物心ついた時から、歌や芝居など、物語を表現する仕事につきたいと思っていて、ただのあこがれではなく「表現することを一生の仕事にしたい」、「それで食べていくには、舞台役者になろう」とすごく現実的に考えていました。
中学に入ってもその夢は変わらなかったんですけど、わたしが通っていた中学には演劇部がなかったので、将来役者になるために何ができるかを考えて、バレー部に入部しました。背が低いことが役者になるには不利なのではないかと思って、背が伸びるかもしれないバレー部を選んだんです(笑)。そのまま高校でも演劇部と掛け持ちで続けて6年間、バレー部に所属していました。でも実は、この一見関係なさそうなバレー部での経験が今のわたしにすごくいきているんです。役者の世界って、礼儀とか先輩への接し方とかをとても重んじる世界なんですね。だけどわたしは特に高校の部活がコーチや先輩への礼儀や規律にすごく厳しかったから、それがこの世界に入った時にとても役に立ったんです。
いいことだけがキッカケじゃない
声優という仕事にたどり着いたのはもっとずっと後で、社会人になってからです。当時、わたしは1年間くらい働いてお金をためたら劇団に入ろうと思っていたんです。でも、現実はそううまくはいかず、翌年に劇団の試験を受けたんですが、1次、2次試験と落ちてしまって。この時がわたしの人生最大の挫折ですね。2次試験の時は、本当に真剣に取り組んだので。
「また1年間、何もしない事になってしまう」って焦っていた時に、今、声優として所属している事務所の養成所の試験の話を聞いたんです。その時は正直、「声優」って思ったんですけど、表現者として役者の勉強ができるならと思って受けました。結果、それがわたしが声優になるキッカケになったんですよね。今思い返すと、この時の挫折があったからこそ、今のわたしがいるんだと思います。ものすごくツラかったけれども、あのくやしさがあったから、次は絶対に受かってやると思えたし、本当の本気でやらなきゃと思わされた。だから挫折して本当は良かったのかもしれない。キッカケって、いいことばかりじゃなくて、悪いこと、つらいこともキッカケになる。挫折も財産。わたしはそう思います。
声優 大谷育江さん
8月18日生まれ。東京都出身。養成所時代に受けたオーディションに合格し、声優デビュー。以降、「ポケットモンスター」シリーズのピカチュウや「ONE PIECE」のトニートニー・チョッパーなど数多くの作品に出演。