「学生時代のムダな時間は実は潤沢な時間だった」と受験の専門家
どんなことでも、できるだけ手間を省き、最大限の効果を発揮させたいと思いがちだが、それだけがすべてではないというのは、安田教育研究所の安田理氏。特に、中学・高校時代の勉強では、「ムダ」だと思うようなことが後々身になることもあるという。安田氏がそんな実体験を披露する。
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今の保護者のかたは無意識のうちに「効率」よく、事を運ぶことに比重を置いているような気がします。
塾選びでも、我が子に合った勉強や志望校に即した勉強を、ということで、集団指導の塾より個別指導塾に通わせるご家庭が多くなっています。
修学旅行にも塾の教材を持って行かせる、志望校で過去に一度も出題されていない単元は捨てる、受験教科以外の教科にはあまり関心を示さない……そうしたケースが目に付きます。
我が子が将来巣立っていく社会が、あまりにも不透明で厳しそうだから、せめて学歴だけでも付けておいてあげたい、そうした心理が保護者のかたになんとなく焦りを生んでいることはわかります。
しかし、長い人生を考えてみると「効率」が必ずしもいいとは思えないのです。
自分の例えで恐縮ですが、昨年東日本大震災で崩れた本棚を何十年ぶりに整理してみたら、中高時代はまさに役に立たない、利益にもならない、実用的でない……実社会から遠く離れた、観念的な本を読んでいたことがわかりました。
これらの本が、その後の自分に、即座にプラスになったとは思いませんが、「ムダな時間は実は潤沢な時間であった」と、なんとなく自信につながっているような気がするのです。
そうしたムダな時間の中で、自分がやっていて飽きないこと、案外苦労なくできること(向いていること)、今人に語れること……が身に付いたように思います。