2007年度入試で何が問われたか<国語>[中学受験]

中学入試が終了すると、その年の国語の入試問題を分析する作業を毎年行っている。国語は分量も多く、時間的な余裕もあまり無いためかなりハードな日程になるのだが、分析という作業は非常に興味深い仕事でもある。今月は今までの分析で明らかになったポイントを、いくつかお話ししたいと思う。

さて今年の中学入試は、受験者数の増大によって非常に厳しい入試になった。「厳しい入試」が必ずしも試験問題の難化とイコールではないが、国語の問題文は今年も難しい内容のものが多かった。問題文の難化はここ数年の傾向であり、難しくなっている原因の一つとしては、問題文に出される文章のレベルが高くなっていることにあると考える。これは文学的文章にも説明的文章にも言えることであり、試しにお子さまの志望校で出題されたここ2年から3年の国語の問題文を読んでいただければ、「なるほど」と納得していただける場合が多いだろう。それでは、なぜそんなに難しくなってきているのだろうか?

文学的文章、すなわち物語文や随筆に関しては、問題文の出典が必ずしも「児童文学」または「子どもを意識して書いたもの」ではなくなってきているからだと思う。あるいは「児童文学」と「大人の文学」との明確な境界線がなくなってきていると言ったほうがよいかもしれない。たとえば、中学入試ではここ数年頻出作品である、あさのあつこ氏の『バッテリー』は「大人も子どもも夢中になる名作」という広告でもわかるように、大人の読者も意識して書かれている作品である。主人公の母親や弟に対する、または友人に対する心情が、大人が読んでも納得できるレベルにまで描かれているということであろう。そしてそういった心情表現が中学入試では問われるのであるから、小学6年生には難しいのは当然である。また中学入試にその作品が頻出である、角田光代氏や森絵都氏は児童文学出身であるが、それぞれ第132回、第135回の直木賞受賞者である。以上のことを考えると、児童文学と大人の文学の境界線が消えかかっているという表現を納得していただけるのではないかと思う。

一方、説明的文章に関してはどうであろうか。説明的文章、つまり説明文や評論文に関しては、以前から「岩波ジュニア新書」などからの出典が多かったが、ここ数年はそれに加えて、理論的かつ抽象的な内容の論説文が非常に多くなってきている。これは学校側の、「理論的思考」や「抽象的思考」ができる生徒に入学してもらいたいという考えからの出題であろうと思われる。御三家やそれに準じるレベルではそれこそ「大学受験の問題ではないのか?」と思える内容の問題文を出題している学校もある。

もちろん問題文の難しさだけでは問題全体の難易度を決めつけることはできないが、難しい問題文は「読もう」とか「解こう」という気力すら妨げるほどの力をもっている。今年を含めて最近の中学入試を考える場合、国語に関してはまずは「問題文がかなり難しい」という意識はもっていたほうがよいだろう。

プロフィール


小泉浩明

桐朋中学・高校、慶応大学卒。米国にてMBA取得後、予備校や塾を開校。現在は平山入試研究所を設立、教材開発など教務研究に専念。著作に「まとめ これだけ!国語(森上教育研究所スキル研究会)」などがある。

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