知ってる?モネやドガ、印象派が変えた絵画の常識

「印象派」という言葉を聞いたことがありますか?19世紀にフランスで生まれた芸術運動で、それ以降の画家たちに非常に大きな影響を与えました。印象派を代表するルノワール、モネ、マネ、ドガといった画家は、日本でも人気がありますので聞いたことがあるかもしれません。では印象派とは、いったいどのような芸術運動だったのでしょうか。

 

輪郭を描かないその独特の技法とは?

 印象派の画家たちは個性豊かで、とても一言でその特徴をまとめることはできません。でも、ひとつ共通点を挙げるとすれば、「画面からものの輪郭をなくした」ということでしょう。「ものの形を描く」というのは、これまでの絵画では当たり前のことでした。しかし、印象派の画家たちは、ものの形ではなく、その瞬間の「印象」を描くことを重視したのです。そのキーワードとなるのが「光」です。水面に反射する光、木々の木漏れ日など、刻一刻と移り変わる「光」を画面に定着させようと試みました。それも、でたらめに色を置くのではなく、光と色彩の科学をもとに、できるだけ純粋な原色を細かいタッチでカンヴァスにのせていったのです。

 

 

印象派のはじまりと広がり

 印象派の画家が描く絵画は、それまでの、ものには決まった色がある絵画とは、色彩の選び方が大きく異なっていました。そのため、最初から世間で受け入れられたわけではありませんでした。たとえば、ルノワールは《陽の当たる裸婦》という作品で女性の白い肌に光が当たる様子を描いているのですが、それを雑誌の記者に「死骸の腐敗したような色」と酷評されました。モネ、ルノワール、ドガたちが開いた1874年の第1回の印象派展も、作品が売れないばかりかお客さんも少なく厳しいものでした。しかし、次第に印象派に対する関心と理解が深まり、1886年ニューヨークのマディソン・スクエアのギャラリーでの印象派展、1896年パリの近代美術館でのたくさんの国家寄贈作品の公開と、その評価の高まりは世界的なものになっていきました。

 

 

日本の浮世絵が印象派の画家に影響を与えた?

 印象派が広まりはじめた当時、日本は江戸時代。実は、印象派と日本は大きな関わりがあるのです。モネ、マネ、ドガなどの印象派の画家をはじめ、ゴッホ、ゴーギャン、ロートレックなど印象派以後の画家たちは、日本の浮世絵に大きな影響を受けました。それは、ジャポニスムと呼ばれ、浮世絵の平面的な色塗りの技法や、その大胆な構図は印象派の絵画にも多数用いられています。

 それまでの絵画の常識を打ち破った印象派は、美術の歴史の中でもとても大きな意味のある運動だったといえるでしょう。印象派は、その後さまざまな画家に引き継がれ、そして形を変えていきます。印象派の画家たちの作品は、日本の美術館でも見ることができます。ぜひ、画家たちの描いた光や色彩を感じ取ってください。

プロフィール



美術評論家連盟会員。1978年から山梨県立美術館初代「ミレー番」学芸員を約10年勤め、以後東京純心女子大学、上智大学などで教鞭をとり2009年から府中市美術館館長、2015年4月から群馬県立近代美術館館長就任予定。主な著書に『印象派の名画はなぜこんなに面白いのか』(カドカワ)、『フランス美術鑑賞紀行1、2』(美術出版社)などがある。

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