各界が絶賛する矢部太郎の感性を育てた「ぼくのお父さん」は、いつも絵を描いていた
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初めて描いたマンガ『大家さんと僕』が大ベストセラーとなり、第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞したカラテカの矢部太郎さん。父の日を前に、待望の2作目『ぼくのお父さん』が発売されました。矢部さんの幼少期を描いたノスタルジックなストーリーですが、描かれる「お父さん」の姿からは、親として忘れがちな大切なものを思い出させてくれます。
矢部さん本人に家族のお話を聞きながら、各界が絶賛する類い稀な感性はどのように育ったのか、秘密を覗きます。
父がお会計のレジでスケッチをはじめ、警備員が…!?
今やマンガ家としての顔も有名になった矢部さんですが、実はお父さんはやべみつのりさんという絵本・紙芝居作家。小さい頃からとにかくなんでも「絵に描く」お父さんだったそう。
「うちは母がフルタイムで働いて、父は家で絵本や紙芝居を作る仕事をしていました。といっても、小さい頃は作品に取り掛かっているところはあまり見たことがなくて。動物の絵を描くことになったから動物園に行こうとか、スケッチをしようとか、毎日準備に付き合いながら、一緒に遊んでいた感じです。お父さんは毎日大量にスケッチをしていて、出されるご飯も、泣いている顔もとにかく描くし、レジのおばさんを描き出して警備員さんに連れて行かれたりなんてこともありました…(笑)」
そんな時は恥ずかしい思いをするものの、いつも学校から帰ってると遊んでくれる、楽しくて大好きな存在、それが矢部さんにとってのお父さんでした。
「お父さんは、子どもはみんな原始人とよく言っていました。その言葉通り、毎年土器を作って河原で一緒に焼いたり(笑)。うまく焼けずに割れたり、川が増水して流されたりしても『割れちゃったけどお骨を拾ってるみたいでいいね』とか、『大雨で流されて地球にかえったね』とか(笑)。父はユーモアがあり、いつもお父さん自身が好きなことを楽しみながらやっていて、子どもと一緒に生き直している感じだったんだと思います。楽しそうに絵を描いている姿を見るのが、僕も好きでした」
父の作る紙芝居をマンツーマンで鑑賞した幼少時代
「父は絵本も書くのですが、紙芝居の方が多いんですね。絵本のように作品としての紙芝居と、お菓子を売って演じる昔ながらの街頭紙芝居がありますが、お父さんは、描いては自分でも保育園などで演じていたんです。フリップ芸みたいに、作品とパフォーマンス、2つが合わさってるというか。それを、練習や作品の試作を兼ねてすごく小さい頃から、マンツーマンで見せられていました。相手が僕とはいえ、父も伝えようと演じていたと思います。
だから、たとえとしてすごく調子に乗ってるかもしれないですけど、歌舞伎で子供に1対1で教えるみたいに、やべみつのりから紙芝居芸を一子相伝されたと言いますか…(笑)」
感想を求められては、自らが描いたりも。そしていつも、作品は褒めてくれたと言います。
「今でもそうなんですけど、全部いいって言うんですよ。子どもが作るものは全部素晴らしい、こんなもの作れないって。父はいわゆる普通にうまいものを描くと、いいねとは言いつつ、なんとなく残念そうだったのは覚えているんですよね。小学1,2年生の頃、他の子が展覧会でニワトリを横からではなく前から躍動感たっぷりに描いているのをものすごく褒めていて、悔しかった記憶があります。そこから、お手本通りじゃなくて、みんなとはちょっと違う角度で描いてみようとか、幼いなりに思ったのかもしれません。だから、今でも『うまくなくてもいい』『セリフも噛んでも大丈夫』って思っちゃってて…、許してくれる演出家さんや、監督さんがいいなぁと思っています(笑)」
マンガの中にもお父さんの担当編集者が登場 矢部太郎『ぼくのお父さん』(新潮社)より
いつも手放しに褒めていたお父さんですが、いいねという言葉の奥には、お父さんなりの子どもへの思いがあったのかも、とも。
「父は六本木にあった東京保育所で、絵を教えていたんです。お父さんはそこで最初に所長さんから『子どもは、あなたに何かを教えてくれるでしょう』と言ってもらったそうです。実際、そこで子どもと付き合うことはどういうことか、学んだと言っていました」
『ぼくのお父さん』では、一生懸命火起こしをする子どもたちを後ろから見守るお父さんが描かれます。命に関わること以外は手出しをせずに、好きにさせていたというお父さん。忙しさを言い訳に、ドリルは与えても危ないことは先回りして取り除いてしまうことの多い自らの子育てを振り返り、何が子どもにとって一番なのかを考えてしまいます。
「小さい頃から、勉強しろとか、○○しろ、は何も言われたことがなくて。小学生の頃は宿題をやるのがいやで、先生に『いやです』と言って、本当にやっていませんでした。ちょっと、問題児ですよね(笑)。だから今も漢字には弱くて…。でも勉強は嫌いではなかったし、親に何も言われないことでかえってこれはまずいぞ、という感じでした(笑)」
大学は東京学芸大学に入り、一時は教員を目指していたことも。そして矢部さんといえば「語学芸人」であり、そしてなんと超難関の気象予報士資格も持っています。
「『ぼくのお父さん』で描いた頃に、苦労しながらもお母さんは放送大学に通って勉強していたり、中国語に興味があって習っては中国に行ったりもしていました。自分の勉強が好きなところや、その豊かさを知っていたのは、母からの影響も大きいのかなと思っています。でも母は僕が描くものに興味はなくて(笑)、今回の『ぼくのお父さん』も読んだのかなあ? とにかく、母は生活をきちんとしていくことを大事にしていました。父も母には感謝していますね」
気づいたら、あの頃の父の年齢を超えていました
一言でいえば、ノスタルジー。楽しかったあの頃を、絵本のように…。『ぼくのお父さん』は、誰もが通り過ぎた子ども時代を思い出させてくれる作品です。
矢部太郎『ぼくのお父さん』(新潮社)より
「小さい頃に父がつけた育児絵日記が残っていて、今回それも元に作品を描きました。それを読むと、お父さんではない仕事をしている父、友達といる時の父など、いろんな姿が見えてきました。僕にもいろんな面があるように、お父さんにもいろんな面があって、悩んで迷いながら、不安な中で生活していたんだな、と」
矢部太郎『ぼくのお父さん』(新潮社)より
楽しくほのぼのとした気持ちになりながらも、「この子ども時代はいつか終わってしまうんだな」という寂しさもどこか感じさせられる『ぼくのお父さん』。その不思議な魅力を、「対談させていただいたマンガ家の萩尾望都さんが、『星の王子さま』みたいとおっしゃってくださって。僕もそんなマンガが描けたらいいなと思っています」。矢部さんのお父さんも、「シンプルな中にポエジーがあって、想像の余地があっていいと思います」と今回もまた褒めてくれたそうです。
「みなさん、お忙しいと思うのですが、子育ての合間に、ぜひ読んでいただけたらと思っています」
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