武蔵野美術大学 造形学部 教職課程研究室(2)「黒板ジャック」で子どもの感動を生み、将来の夢を実現していく学生たち[大学研究室訪問]

日本が転換期を迎えた今、大学もまた大きく変わりつつあります。そんな時代に、大学や学部をどう選び、そこで何を学べば、お子さまの将来が明るく照らされるのでしょうか。前回は、三澤先生の「旅するムサビ(武蔵野美術大学)」を通じての美術教育の意義を伺いましたが、今回はその活動の一環として始まった「黒板ジャック」についてお聞きしました。



■「黒板ジャック」で子どもたちの目が輝く!

子どもたちが下校した放課後、学生たちが一心不乱に黒板に絵を描き始めます。翌朝、子どもたちは何も知らずにいつもどおり学校に来ます。パラパラと登校した子どもたちが目にするのは黒板に描かれた圧倒されるような絵。「わあ!」と感激の声を上げて、黒板の前に子どもたちの輪ができ上がります。



子どもたちの登校を待つ黒板の絵



クラスメートと鑑賞し、対話する子どもたち

子どもたちはその後、作者と「これは○○に見える」「ここはどんな意味があったの?」などと対話をします。日常の中の驚きのできごとに、興奮しながら作品の鑑賞とクラスメートや作者との対話を経験することができるのです。

「黒板ジャック」は朝の時間だけ見ることができる時間限定の芸術です。授業が始まる前には、子どもたちみんなで絵を消すのです。「もったいない」という声ももちろん聞かれますが、消えるからこそ強く心に残ると思っています。

教室の中にこんなイベントを持ち込んで大丈夫なのか?と心配になるかたもいらっしゃるかもしれません。しかし、実は「黒板ジャック」には日々の授業の教育効果を高める作用もあるということがわかってきました。
「黒板ジャック」後の授業の様子についてある先生が、「こんなに静かに集中して子どもが算数の授業を受けたのは初めて! チャイムが鳴ったら『もう終わり!?』という声が出たほどでした」と教えてくださったのです。
美術を鑑賞するということは、これまでの知識や経験を総動員して目の前にある芸術の意味を読み解こうとします。そして、友達と話し合いながら、自分が絵から読み取った意味を言葉にしていきます。つまり、頭脳をフル回転させて自分なりの答えを探しているのです。そのため、朝ぼんやりしていた頭がすっかり目覚め、学びのスイッチが入っている状態で授業を迎えられたのです。



■「旅するムサビ」で学生に養われる力とは


誰もいない教室で絵を描き上げる学生

「旅するムサビ」では、学生が主体で動きます。私は依頼を受ける窓口になったり、困ったことがあれば依頼先などと折衝したりしますが、ほとんどを学生たちが進めます。その中で学生たちは、大きく3つの能力を培っていくと感じています。
一つ目は、企画力と実行力です。「旅するムサビ」では、学校や地域などからの期待を背負い、その期待に応えていかなければいけません。どうやって実現するかを検討して動いていく中で、責任感を持ち、企画力と企画を実現させる実行力が培われるのです。
二つ目は、協調性やコミュニケーション能力です。一つの依頼を実現させるには、一人の力ではとても不可能です。チーム全員で協働していく必要があるのです。そこでリーダーはどうやってメンバーに協力を仰ぐかを必死になって考えます。一方で、他のメンバーもものづくりの大変さを身にしみてわかっているので、フォロワーシップを発揮していきます。チームの中で一つのプロジェクトをやり遂げるためのチームの力を育んでいくことができると感じています。それはリーダー性や、物事を俯瞰(ふかん)する力、協調性、調整力、コミュニケーション能力などです。
三つ目は、自分の作品を磨き高める力です。作品を児童・生徒や学外の人に見てもらえることで、いっそう作品制作に真剣に向き合うようになります。作品には自身の思いが投影されますから、作品が受け入れられるかどうかは、自分の存在意義が認められるかどうかと同意義になるのです。



■自分の将来ビジョンを描き、実現していく学生たち

アーティストというと、「脇目もふらず作品だけに没頭している」「孤高の存在」などの印象を持っているかもしれません。しかし、内実はまったく違います。絵画にしろ、彫刻にしろ、表現には自分が学んできたことや体験が投影されます。すなわち、多様な経験がなければ、人を魅了するような芸術は生み出せません。「美術が好きだから、そればかりやる」というだけでは、作品の深みも増しません。また、現代的な価値観や時代背景もおさえていないと、社会に求められている芸術とは何かをつかむこともできません。
自分の価値観の幅を広げ作品に投影できるようにするためには、専門的な学びとともに、幅広い知識や、人と触れ合う経験も重要なのです。
美術が好きなお子さんには、「勉強していろいろなことを知ることや、多くの人に会って話をしてみることが大切だよ」と伝えてください。長所を伸ばしつつ、他の分野にも視野を広げていくことができるようになります。



学生が作った「旅するムサビ」パンフレット

私が美大を受験した時は、「美大に行くなんて、一生働かない気か!」などと言われたものでした。しかし、現在、本学の学生の就職は極めてよいです。考えてみれば当然のことで、学生たちは大学で美術を通して多くの人たちと関わり、社会に通用する力を身に付けています。また、4年間何をしてきたのかを面接で聞かれたとしても、実際に多くの造形ワークショップやボランティアなどを通して社会貢献をしているので、実戦経験からくる説得力は違います。実際に企業側からのラブコールも多い状況です。

さらに、「旅するムサビ」の経験を経て、美術教師への志望をさらに深めたり、学校外で美術教育を浸透させたいと学芸員を志望したりする学生がいます。なかには、美術の学びを生かし、これまで社会になかったような会社を起業する学生もいます。
どんな志望においても、自身の考えを持ち、人を説得し、他者と協働し、必ず形にしていくという経験は生きてきます。美術には、社会で仕事をするための力がすべて詰まっているのです。

残念ながら、こうした美術教育の力は世の中にはあまり知られていません。そのため、全国に赴いて美術教育への理解を促すことが私の使命だと感じています。


プロフィール


三澤一実

東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。美術教育と美術教材の題材開発及び評価についての研究に尽力。美術館と学校との連携および地域との連携活動を展開している。監修書籍に、『美術教育の題材開発』(武蔵野美術大学出版局)などがある。

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