夏休みに、子育てを考えよう! 「主体的に」が子どもを伸ばす[高校受験]
■「主体的に」が子どもを伸ばす
先頃、文部科学省が高校生を対象とした新テスト=「到達度テスト」を導入し、それに伴って現在のセンター試験を廃止する方針であることが、新聞各紙で一斉に報道されました。記事にはフランスの大学入学資格「バカロレア」を参考に、難易度の異なる3種類程度のテストを用意する、などと書かれていました。
今回は、このテストについて論じることが目的ではありません。日本の大学とアメリカの大学の入試の違いを見ることで、日本における子育てで何が足りないのかを探ってみようというわけです。
日本の大学とアメリカの大学の入学試験の決定的な違いは、日本の大学は、ほとんどの大学がペーパーテストの結果のみで決まるのに対し、アメリカの大学は学力以外に、本人の属性および校内での活動や校外での活動までをも選抜の判断材料にする点です。この校内・校外での活動を見る意図は、本人が活動に積極的に、かつ主体的に取り組んできたかどうかを見る点にあります。日本で「リーダーシップ」というと、組織の長(おさ)が備えている資質のように思われているので、この言葉を使いにくいのですが、何も長である必要はなく、主体的姿勢としてのリーダーシップを取れるタイプかどうかが重要視されているのです。
私は、今は独立して小さな研究所をやっていますが、約12年前まで、30年ほど企業に勤めていました。そうした企業での生活を振り返った時、たとえば職場旅行でのことを思い出すと、こんなシーンが浮かびます。幹事役がすべてを段取りし、他の者は言われたとおりに動くだけ。幹事役がいなくて、電車の時間、バスの時間が迫ってきても誰も動こうとしません。判断を停止しているのです。
日常生活でも、こんな光景がよく見られます。通勤時間帯でバスが混み合っていて、次の停留所の客が乗り込むのに時間がかかっています。しかし、車内の乗客同士で「お互いさまだから、少し詰めませんか」と声を出す人はいません。
こうした日本的生活の象徴が履歴書です。履歴書には、学級委員、チアリーディング部部長という役職を書きます。が、アメリカではポストではなく、実際の場面での主体的に行動できる人物であるかどうかが問われるのです。
お子さまが巣立っていくこれからの社会は、すぐ隣に外国の人がいる状況でしょうし、生産拠点が海外に移れば、日本人が否応なく海外に出ざるを得ないだろうと思います。そうした時に、誰かに指示されるのを待っているようではコミュニケーションが取れません。自分から話す、自分から動く、そうした主体的姿勢としてのリーダーシップが欠かせないのです。
「グローバル社会」というとすぐに「英語が話せる」「専門的な知識や技術を持っている」などということがいわれます。確かにこの両方とも必要なのですが、これだけではやっていけません。異なる背景を持つ世界中の人と議論し、競争し、協力し合いながら仕事を進めていく力、生きていく力が求められます。その前提となるのが、「自分の頭で粘り強く考える力」と「相手に伝わるように説明できる表現力」です。これらは一朝一夕には身に付きません。普段から、本人に考えさせ、意見を言わせ、判断を委ねることの積み重ねがなければ身に付かないのです。
お子さまが受験学年になると、時間が貴重だから、「あなたは勉強だけしていればいいの。ほかのことはママがやってあげる」になってしまいがちですが、それではたとえ合格しても、子どもは伸びません。子どもがうまく説明できなくて、やるのに時間がかかっても、じっと我慢して口や手を出さないでください。
ご家庭の日常生活でも、お子さまに主体的に行動させることを意識的にやっていただきたいのです。