日頃の家族のコミュニケーションでついた力を生かし、直前の受検決意から双子そろって合格!
桜修館中等教育学校は、都立大学附属高等学校を設置母体校に平成18年4月に設立された中等教育学校。論理的に考え、表現、行動するリーダーを育成し、国際社会で活躍する人材を送り出すことをめざした教育が行われています。
そんな桜修館の一期生として、しかも双子のきょうだいがそろって合格を果たした石井さん一家に、受検したきっかけや合格までのストーリー、現在の中学生活の様子などを伺いました。(2009年2月19日更新)
profile 石井絢(いしい・あや)さん、崇(たかし)さん、お父さま・亨さん、お母さま・弥生さん2006年4月、東京都立桜修館中等教育学校に入学。お住まいになっている東京・大田区の一軒家は、壁面には家族の写真がたくさんはられ、リビングには絢さん愛用のグランドピアノや崇さんの大好きなサッカーのボールの形をしたスツールがあるなど、温かく仲のよい雰囲気が伝わってくるご家庭です。 |
「自分たちが一期生として学校を創っていきたい」。6年生の夏休み明けから受検を考えた
お2人揃って桜修館を受検することになったきっかけを教えてください
お母さま
6年生の夏休みに、2人がケンカを始めたんです。地元の区立中学校の中でどこに行くか、意見が分かれたのが原因でした。崇はずっと地元のクラブチームでサッカーをしていてその仲間が進む中学に行きたがり、絢はそちらの中学には友達がほとんど行かないからイヤだと言って譲らなかったんです。困っていると、夏休み明けぐらいから、絢が公立中高一貫校を受検したいと言い出しました。
絢さん
私立中を受ける友達に、一緒に受験しないかと誘われたんです。そのときは、どうしようかと迷っていたのですが、小学校に貼ってあったポスターで公立中高一貫校の桜修館ができると知り、行きたいという気持ちがふくらんできました。
お母さま
わが家は、体をしっかり鍛え、社会の縮図ともいえる公立の中学校でたくましく育てるというのが教育方針で、受験はまったく考えておらず、学校の勉強がきちんとできていればよいと、塾にも通わせていませんでした。だから、受検をしたいと言われたときはビックリしましたね。しかし、本人の気持ちは大切にしたいし、私立は問題が難しいから今から勉強を始めたのでは無理だけれど、調べて見たところ、公立中高一貫校なら作文などが多いと知り、それならチャンスがあるかもしれないと考えたのです。
桜修館以外を受検することは考えなかったのですか
お父さま
公立中高一貫校という選択肢もあるという話をして、交通手段を考えると桜修館が近くて便利だとは伝えました。でも、最終的に決めたのは本人たちですね。
絢さん
記念祭(文化祭)に行ったのが大きかったです。まだ中学はできていなくて、高校(設置母体校の都立大附属高校)だけだったのですが、すごく盛り上がって雰囲気がよかったんです。また、私たちが一期生になるので、自分たちで一から創り上げていくところに魅かれました。
崇さん
ぼくは最初、受けるつもりはなかったのですが、記念祭に一緒に行ったらとても楽しそうだったので、考えが変わりました。サッカーのクラブチームの練習場も通学の途中にあるから、これなら通えそうだと思いましたし。
お母さま
実は、東京大学教育学部附属中等教育学校は双生児枠がありますし、教育方針にもひかれていたのですが、試験日が同じだったので、もともと受検を言い出した絢の意志を尊重して、桜修館に決めました。
絢さん
そこで私の希望を聞いてもらったので、もし不合格だったときに入学する公立中学は、私が折れることにしたんです。だから、「ゼッタイに合格したい!」と思いましたね。
2人とも、たくさんの読書が受検に役立った
塾には通っていなかったそうですが、受検を決めるまではどんなふうに過ごしていたんですか。
崇さん
ぼくは毎日、サッカーをやってばかりでしたね(笑)。小学校の宿題の「自主学習」は、サッカーや釣りのことをパソコンで調べて絵や写真をプリントアウトして貼りつけたり、感想を書いたりしていました。進研ゼミの「チャレンジ」も土日にまとめてやっていました。赤ペン先生の問題は必ず提出していました。
絢さん
私は、「自主学習」では計算のドリルを解いたり、大田区の漢字検定で一番上の級に合格しようと思って漢字を練習したりしていました。ピアノを習っていて音楽が好きだったので、好きな作曲家のことを調べることもありました。「チャレンジ」も、毎日やっていました。
お母さま
双子でもまったく違うんですよ。絢は、大人と会話をするのが好きでしたね。それも、ただしゃべるのではなく、向き合って、1〜2時間じっくりと話をするんです。
お父さま
2人とも本はよく読んでいました。地元の図書館に週1回くらいは行っていました。小さい頃は読み聞かせをよくしましたので、その影響もあると思います。
崇さん
風邪をひいたときにも布団の中でいつまでも本を読んでいて、怒られたことがあります。あと、サッカーから帰ってきて夕食まで少し時間があるときなどに、よく新聞を読んでいました。1面とスポーツ面、社会面くらいですけれど。
お母さま
崇は新聞をよく読むせいか、物知りですね。社会情勢をよく知っていて、感心させられることがありました。
崇さん
桜修館は環境に関する問題が多かったから、新聞を読んでいたのは役立ったかもしれません。それから、好きなミステリー小説のシリーズには、物語の中にもクイズみたいなのが出てくるのがあって、それも適性検査の問題に似ていましたね。
お父さま
旅行に行くときはインターネットで行き先を調べたり、電車の中で駅名をクイズにして出したり、お風呂の中で九九やローマ字を覚えたり、小さい頃から、生活のいろいろな場で学ぶようにしていました。勉強は、ゲームのように楽しみながらやったほうがいいと思うんですよ。
習い事は何かしていましたか。
お母さま
2人とも幼稚園入園前から体操、水泳をさせていました。
絢さん
私は幼稚園に入る前からピアノを習っていて、今でも週1回、1時間のレッスンを続けています。一時期、音大に入ろうと考えていたこともあって、自主練習は毎日2時間していました。
崇さん
ぼくは小学3年生から地元のサッカークラブに入って、週5日は通っていました。桜修館に入ってからも続けるつもりでいたんですが、やっぱり時間的に厳しかったのでやめて、学校の部活に絞っています。それから、そろばんも小学3年生から週3日通い、中学1年生のときに2級をとってやめました。