岡田武史さんが挑む、人間力を育てる「新しい学校」作りとは?【インタビュー前編】

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2024年4月、愛媛県今治市に「FC今治高校 里山校(以下、FC今治高校)」が開校します。学園長を務めるのは、元・サッカー日本代表監督でFC今治の会長を務める岡田武史氏。学校の名称や岡田氏のキャリアからしてサッカー選手の養成校と思われがちですが、そうではありません。めざすのは、生徒一人ひとりが主体性を持ち、自分の「人間力」を磨く新しい学校作りです。

なぜ今、岡田氏は教育に取り組むのか。そして、FC今治高校で実現したい教育とは、どのようなものなのか。岡田氏へのインタビューを、2回に分けてお届けします。

「教育の素人」だからこそ集まった、変革への期待

「まさか自分が学園長になるとは思わなかった。でも、これもご縁かなと思って」

今年、創立118年を迎える今治明徳学園。同学園が運営する今治明徳高校 矢田分校では、少子化や過疎化の影響で定員割れが続き、学校の立て直しが課題になっていました。

状況を打破すべく、2021年、今治明徳学園の理事長でありFC今治の運営会社「今治.夢スポーツ」の社外取締役も務める村上康氏が、岡田氏に学校運営への参画を打診。約2年後の2023年4月、新しい学校作りの構想を発表しました。今治明徳高校 矢田分校は「FC今治高校 里山校」と改称され、学園長には岡田氏が就任することに。


2023年4月に開催した記者会見で学校名を発表(提供:FC今治高校)

「2021年にお話をいただいてから、教育関係者の方々が『岡田さん、いっしょに新しい教育をやろう。自分もコミットするから』と、どんどん集まってくれて。私自身、社会がこれだけ変わろうとしているのに、教育はこのままでいいんだろうか……という漠然とした疑問を持っていたので、これは思いきってやるしかないと、腹をくくりました。教育に関してはド素人ですが、素人だからこそ持てる観点もあるだろうと思ったんです」

長く指導者としてサッカーに関わるなかで、岡田氏がもっとも懸念してきたのが、主体性の欠如でした。

「海外の監督などから『日本人選手には主体性がない』と言われてきました。監督やコーチから言われることはきちっとやるけど、自分で判断ができないと。

Jリーグができ、海外のチームで活躍する選手も増えて状況は改善されてきたものの、まだ根本は変わっていません。これはサッカーだけでなく日本全体の課題でもあり、ラグビーの元日本代表監督の故・平尾誠二さんとは、自分で自分の人生を切り拓ける人を育てたい、スポーツから日本を変えていきたいという話を、二人でよくしましたね。だから、学校運営の話をいただいた時も、それを実現する学校を作れたらいいなと思いました」


FC今治高校の校舎内(提供:FC今治高校)

主体性を育てる「岡田メソッド」

主体性の育成は、岡田氏が会長を務めるFC今治でも指導の要になっています。主体的にプレーする自立・自律した選手とチームを育てることを目的とした、いわゆる「岡田メソッド」です。

岡田メソッドは、「守破離」の考えに基づいています。16歳までに徹底的にプレーモデルを体得させるのが「守」。プレーモデルの原則に基づき、自分で選択しながらプレーするのが「破」。原則は潜在的に意識しつつも、自由に考えて判断しながらプレーするのが「離」。これは、従来の国内チームでの指導とは逆のアプローチだと言います。

「日本では、小中学生までは自由にプレーさせ、高校生から戦術を教えるというのが一般的です。でもこれだと、プレー中に自分で判断して自由に動き、自分でゲームを作っていくという主体性が育ちづらいのではないかと考えています。

ある時スペインチームのコーチに、『スペインでは16歳までに徹底的に型を教えて、あとは選手の自由にさせている。だって、自分で判断してプレーするのがサッカーというスポーツだろう?』と言われて、なるほどそうだよなと。それで、これまでとは逆のスタイルで育成をするという、ある意味では実験を、FC今治で始めたんです」

遺伝子にスイッチが入ったあの日から、人生が変わった

「主体性」をキーワードに、FC今治で若手の育成にあたってきた岡田氏。自身の主体性は、どのように芽生えていったのでしょうか。

「我が家は、父が産婦人科医で忙しく当直も多く、母は病弱で入院していて。姉と二人、自分たちでなんとかするしかない環境で育ったんです。授業参観に親が来たことはほとんどありませんし、遠足には自分で握ったおにぎりと缶詰を持っていきました。そういうこともあって、主体性の芽生えというか、自立は早かったですね。まあ、やんちゃなこともしましたけれど(笑)、サッカーと出合えたおかげでなんとかまともな人間になれました」

サッカーにのめり込み、選手としても活躍した岡田氏ですが、「人生が変わり始めた」という明確なターニングポイントがあります。それは、1998年のワールドカップ予選、いわゆる「ジョホールバルの歓喜」を迎える前夜のことでした。


(写真はイメージ)

「1997年に当時の監督がカザフスタンで更迭され、監督経験のない僕が急きょ、日本代表の監督になって。当時は脅迫電話がすごく、自宅にも大勢の人が押し寄せ常にパトカーが待機するような状況でした。マレーシアのジョホールバルでのイランとの決戦の前夜、妻には『明日勝てなかったら日本に帰れない』と冗談抜きで伝えました。

かなり追い詰められた状況でしたが、ふと『急に名将にはなれないんだし、今の自分の力を100%出すしかない。死ぬ気でやって、それでダメだったら国民の前で謝ればいい』と思えて。開き直ったら急に怖いものがなくなり、ドンと構えられたんです。

生物学者の村上和雄先生は、『人は極限状態になると遺伝子にスイッチが入る。氷河期や飢餓に耐えてきた人類は強い遺伝子を持っているが、便利で安全で快適な社会では遺伝子が眠っている状態だ』とおっしゃっているのですが、まさに遺伝子にスイッチが入った瞬間でした」

そして、岡田氏の人生は大きく変わり始めます。些細なことでは動じなくなり、また、もともと人前に立って話すことが苦手だったそうですが、それも問題なくできるようになりました。

自身が経験した『遺伝子にスイッチが入る』体験を、子どもたちにもしてほしい。便利で安全で快適な環境から飛び出して、挑戦してほしい。そんな思いが、学校作りへの参画を決意した大きな要因となったのです。

「教育でしか、世界は変えられない」

そしてもう一つ、岡田氏を教育に誘ったきっかけがあります。それは、大学時代の恩師との出会い。早稲田大学のサッカー部の顧問であり政治経済学部の教授でもあった恩師の言葉が、今も胸に残っていると言います。

「常々、サッカーも学問も、自分は人類愛のためにやっているんだ、とおっしゃっていました。愛には、自己、パートナー、家族・友人、人類、地球の5段階があり、どのレベルで考え決断しているかを常に意識せよというのが、恩師の教えでした」

そこから岡田氏は、いつか自分も人類や地球のために何かができる人間になりたいという思いを持つようになりました。その思いを体現すべく、2010年のワールドカップで代表監督を退いた翌年からは、環境教育や野外活動の取り組みを開始します。


環境教育に取り組む岡田氏(提供:FC今治)

「実際にそうした活動に取り組むなかで改めて感じたのが、教育でしか世界は変えられないということです。今や、資本主義経済やポピュリズムの限界が見え、世界の分断が進み各地で紛争が起こっています。この状況を変えるには、人の考え方や心のあり方を変えていくしかない、そのためには教育しかないと思い、ならば残りの人生をかけてやってみる価値はあると、思いきりました」

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後編では、FC今治高校で育てたい資質・能力とはどのようなものなのか、そのためにどのような教育を行うのか、そして、開校を前に何を思うのか、引き続き岡田氏にお聞きします。

(インタビュー後編はこちら

プロフィール



1956年大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、古河電気工業サッカー部(現ジェフユナイテッド市原・千葉) に入団し、日本代表に選出。1990年に現役引退後、日本代表コーチなどを経て、1997年に日本代表監督に就任。W杯 フランス大会に出場。2007年に2度目の日本代表監督に就任し、W杯南アフリカ大会ではベスト16に導いた。2014 年、FC今治のオーナーに就任。2019年には日本サッカー殿堂入りを果たした。2024年4月開校のFC今治高等学校学園長に就任。

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