直島に残る伝統的な文化-直島女文楽を通して見えた地域ならではの文化の魅力とは【直島アート便り】
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2022年4月14日に瀬戸内海の島々を舞台に瀬戸内国際芸術祭2022が開幕しました。「海の復権」をテーマに掲げた3年に1度の同芸術祭は、春・夏・秋の3会期にそれぞれ新しい作品が公開されたり、地域固有の文化に触れるイベントが催されたりと、さまざまなアート関連プログラムが実施されます。5月18日に幕を閉じた春会期の直島では、直島女文楽の特別公演が開かれました。今回は、直島・本村地区にある「直島ホール」にて3年ぶりに開催された女文楽公演「麗春の舞」の様子をご紹介します。
直島女文楽が誕生するまで
直島女文楽の歴史は江戸時代に遡ります。
かつて天領地だった直島では、歌舞伎や人形浄瑠璃などの芸能が盛んに行われていました。
直島の生活の中心地である本村地区には舞台が設けられ、島の有志による歌舞伎が行われると島外から多くの観客が直島を訪れていたそうです。
その頃、淡路の文楽も度々直島に来演していたこともあり、直島の4家が家元となって人形を所有し始めます。歌舞伎や人形浄瑠璃の公演を通して、直島の人々も文楽への関心を高めていきました。
しかし、明治6年に阿波へ文楽の人形を買いにいった一座は、帰途に小豆島沖で船が難破してしまいます。座員から死者が出てしまったという不幸な出来事が原因となり、直島の人々の文楽への関心は薄れていきました。
明治、大正、昭和にわたって途絶えていた文楽が復活したのは、昭和23年のことです。
地域を盛り上げようと、当時直島で暮らしていた4人の女性の手により、人形芝居の稽古が再び始まり、翌年には直島町敬老会にて初公演が開かれました。このようにして、座員が女性のみで構成される直島女文楽が誕生しました。
直島女文楽はその後、昭和37年に人形頭および衣装が香川県指定有形民俗文化財に、昭和59年には直島女文楽そのものが香川県指定無形民俗文化財に指定されています。平成12年には、直島女文楽後援会がつくられ、浄瑠璃と三味線が加わり、人形浄瑠璃一座として現在まで伝統が受け継がれています。
伝統文化を通して届けたい想いとは
4月23日に直島ホールで開かれた「麗春の舞」は、直島女文楽の公演と津軽三味線の演奏の2部構成で披露されました。
公演前に、平成5年から直島女文楽に関わっているという小西シマ子さんにお話をうかがいました。
直島女文楽の人形遣いの一人である、小西シマ子さん
先人たちの残した立派な有形・無形の文化財を伝承することが演者としてのやり甲斐だと話す小西さん。今回瀬戸内国際芸術祭2022のイベントとして直島ホールで公演するうえでの思いをうかがうと、「日本建築の中で直島に古くから伝わる伝統芸能を観ていただくと『いにしえの古く良き時代』を感じてもらえたり、伝えられたりするのでうれしいです」と教えてくださいました。
今回の特別ゲストとして出演してくださった津軽三味線奏者・小山豊さんにもお話をうかがいました。
津軽三味線奏者の小山豊さん
津軽三味線小山流の三代目として、国内・海外で演奏活動を行っている小山さんは、「和楽器や邦楽はさまざまなジャンルがそれぞれ独立していて、横の繋がりがまったくと言っていいほどない」と言います。
「この島に女文楽というのがあることは、実は知らなかったのですが、そういう文化があること、今回それを拝見させていただけるのがすごくうれしいです」と公演前に話してくださいました。
直島女文楽と津軽三味線、それぞれの伝統文化の魅力を継承し、発信し続けておられる小西さんと小山さんに、文化の継承についても話をうかがいます。
「魅力的な伝統ある人形浄瑠璃を残して伝えるためには個人では無理です」と小西さんは語ります。
演者の皆さまは普段、年に数回ほど町内外で行われる公演に向けて毎週1~3回の練習を行う以外に、小学校のクラブ活動や学校外活動などで後継者の指導を行っているそうです。
後継者が不足している現状について、「地域で応援する力と若い人の力が、そして今後は有償として人を育てることが人材育成にも繋がるように思います」と、話してくださいました。
小山さんは、伝統的な文化をそのまま残しながら、今の時代にマッチさせていくことが難しいと言います。
「民謡は元来「民(たみ)の謡(うた)」であり、生活や時代背景によってリズムやフレーズが変容する自由度の高いものだった。しかし、伝統的な文化を守ろうとする動きのなかで、次第にそういった自由度は失われていっている。こうじゃなきゃだめですよ、こうあるべき、という守り方をしてしまったので、もちろんそのおかげで今日まで残っている伝統があるんですが、一方で若い人が入りづらくなってしまった。今は和の音がすごく特別な音に聴こえてしまっているので、とにかく日常に、普通に自国の文化があるっていうのを僕は目指しています」
「僕は原点、民謡の一番根っこのじいさんばあさんが酒飲みながら、茶わん叩きながらやっていたフレーズとか、呼吸とか、間とか、そういったものは継承していきたいなと思っています。一番大事なところを伝えればあとはもうなんでもいいと思うんです」
また、本公演を通じて届けたい想いをお聞きすると、
小西さんからは「直島の歴史の中の1ページに女文楽もあります。現代アートと古き良き時代の無形アートとを思い出の1ページに!」、
小山さんからは「戦争があったり、新型コロナウイルスの感染拡大で大変だったりしますが、人が集まって笑う事などそういう大切さやエネルギーを伝えていきたい。音楽なので、音を聴くことで旅行ができたり、怒ったり泣いたり笑ったりできることをしっかり伝えていきたいと僕は思います」とそれぞれ語ってくださいました。
女文楽公演「麗春の舞」
町外向けには3年ぶりとなる今回の公演には、直島にお住まいのかたや島外からお越しのかたなど、開場前から多くのかたが長い列をつくって待っていました。
公演が始まる前から、客席からは「楽しみだね」と言い合う方々や、パンフレットをじっくりと読む方々の姿が見られ、公演を心待ちにしている様子がうかがえました。
太夫の語りと三味線の音楽で幕が上がり、まずは直島女文楽の公演が始まります。
本公演では、盲人と妻の夫婦愛を描いた「壺坂観音霊験記~山の段~」、我が子の命を犠牲に幼い主君の毒殺を阻止したというお家騒動を描いた「伽羅先代萩政岡」が披露されました。
人形遣いは3人で1体の人形の頭や手、足を操ります。顔を傾ける角度や手指の動き、歩く姿など、人形遣いは語りと三味線に合わせて息の合った動きで、人形にしなやかで繊細な表現を次々と生み出していきます。
「壺坂観音霊験記~山の段~」の一場面
太夫と三味線と人形遣いの手によって、いきいきと舞台上で舞う人形からは、生命力やさまざまに変化する感情を強く感じ取ることができます。
続く津軽三味線の演奏では、古くから残る古典ものから現代の曲まで、幅広く披露されました。
これまで30か国以上で現地のアーティストと演奏をしてきているという小山さん。本公演では、津軽三味線でさまざまな国の音楽をメドレー形式で演奏してくださいました。中東からスペイン、日本の長唄を経由して最後はブルースと、観客は津軽三味線の音色を通して世界の多様な文化を体感する時間となっていました。
また、民謡の伴奏楽器でもある津軽三味線で日本各地の民謡を奏でる「民謡メドレー」では、客席から手拍子や歌声が聴こえてくるなど、音楽を介して会場全体が温かい一体感で包まれていました。
終演と同時に客席からは大きな拍手が送られ、「麗春の舞」は無事幕を閉じました。
終演後、小西さんは「コロナウイルス感染拡大の影響で練習も公演もなかなかできなかったけれど、みんなが力を合わせて今回できたということに感激しています。長い間のブランクを克服してここまでやってまいりました。新しいメンバーも入ってきて、またがんばりたいと思うので応援していただきたいなと思います」と感想をお話くださいました。
小山さんは次のような感想を話してくださいました。
「アートの民主化、生活の中に芸術や文化、音楽が《普段着》としてある美しい島直島で公演をさせていただいた事に感謝です。民謡や和楽器の再民主化を志す私にとっては正に見本のような環境でした」
文化が日常とともにあるということ
女文楽公演「麗春の舞」には、事前に公演を知っていたかただけでなく、本村地区を散策しているなかでふらっと立ち寄ってくださったかたも多くいらっしゃいました。直島にお住まいのかたと島外からお越しのかたが同じ空間で、伝統的な文化に感動したり、楽しい時間を過ごしたり、古くから残る伝統と現代アートが日常の中で豊かに関わり合う直島での公演は、訪れたかたに、歴史ある地域固有の文化は過去のものではなく、これからも地域と共に育まれていくものであることを再認識させてくれる機会となったのではないでしょうか。
終演後の集合写真
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