不登校問題から見える、これからの学校の課題と目指したい形とは【不登校との付き合い方(28)】

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かつて学校は、「輝かしい希望の施設」であり、行きたくない理由など考えられもしない場所でした。それが近年、不登校は特別に珍しいことではなくなり、「なぜこの子は学校へ行きたがらないのか」と考えられるようになりました。コロナを経験した後、学校はどんな場所であれば子どもたちにとって「輝かしい希望の施設」になるのでしょうか。「不登校新聞」編集長の石井志昂さんと考えました。

この記事のポイント

みんなが学校に期待していたことは、友人関係を育む「安全な居場所」だった

コロナ禍の学校生活について子どもたちに聞くと、多くの子が異口同音に「友だちに会って遊びたい」と言います。とにかく「なんでもいいからとにかく会いたい」と。聞いているこっちがつらくなるほどです。

学校は、友人関係を築き、集団競技などを楽しむ場だったということが、よくわかります。それはどれだけお金を積んでオンライン化を進めてもできないことです。

一方、保護者にとっての学校は、子どもを安全に預かってくれる場所であることも再認識されました。毎日ではなくてもいいから、安全に子どもの様子を見てくれて、給食の提供をしてくれる場所。また、虐待されていないかを発見するという福祉的な役割においても、学校は子どもの安全を守る場所です。

友人関係を育んで、集団競技を楽しむ、居場所としての安全な場所。これが学校に求められていることだと、コロナの時期を通して、人々がそれぞれの立場で、あらためて気づきました。

実は毎日顔を合わせるほうが、トラブルを生んでいた

コロナによって学校に行ける日が制限されたことによって、気づかされたことがもうひとつあります。それは、学校で毎日全員が顔を合わせる必要はなかった、ということ。毎日みんなで同じ行動をさせようとするから、うまくいかないことがたくさんあります。

人はずっと一緒にいると、必ずもめごとが起こるもの。人間関係を学ぶ意味でも「もめたら離れよう」と知るのは大事なことです。でも、もめても離れられることが許されなかったのが、これまでの学校でした。

フリースクールでは、やたらとぶつかり合ったり、いやがらせをしたりする子どもがいると、スタッフはその子たちの距離を離そうとします。家で少し落ち着いておいで、と言うこともあります。お互いに冷静になることが、いちばん早い解決法です。そこで無理に仲直りさせようとすると、遺恨を残すことになります。

学校の大事な役割に、「勉強」が入っていない?

こうして見ると、勉強に関して学校がもつ役割はそれほど大きくはないのかもしれません。学習の個別最適化がよいとされるならば、教科学習はAI教材が強いと感じます。無学年式で、本人の理解度に合わせて学習を進めるという形が、効率的です。一方で、理科の実験のようにワークショップ的に展開する授業は、「集団競技を楽しむ」という部分でもあり、学校に行く大事な意味をもっています。

世界的にも学習のレベルは高いとされている日本ですから、あとは効率化が課題なのだと思います。

理想的なのは、多様な小さな学校がたくさんできるようになること。教育が進んでいるといわれるオランダには、個性豊かな小さな学校がたくさんあり、それぞれが実験的な教育をして自由な学校運営が展開されています。その中のひとつ、異年齢の子どもが一緒に学ぶ「イエナプラン」が、長野県の公立小学校にも導入されるなど、日本でも動きは始まっています。

学力が「生き方」に反映されない社会になるといい

多様な方針の学校ができることによって大人たちが心配するのは、学校によって学力の格差ができてしまうことでしょう。今の社会では、学力格差はそのまま就職状況に直結しています。

日本の子どもたちは、大人たちよりもずっと結果主義の中で生きています。毎週のようにテストがあり競技大会があり、常に周りと比較されて「点数」をつけられてしまう。そして、子どもは成果に対してシビアに受け止めます。

私自身も、受験生だったころに、テストの結果を親に見せるのはすごくこわくて苦痛でした。成績がいいときなんて少ないわけで、親からは何も言われなくても、無言のうちに「もっと努力しろ」と責められているようで、見せるだけでプレッシャーでした。

本来は、毎週末のテストの点数よりも、何をどれだけどのように理解しているかが大事なことです。だけどそこには目が向かず、点数だけを見て「今回は頑張れた」「今回はダメだった」と一喜一憂するのは、子ども時代には過酷なことです。

勝った負けた・できたできないだけで語るのではなく、失敗をしたことによって理解したか理解していないかを見ることが大事なはずです。子どもたちが様々なチャレンジをして、失敗しながら育つことを保障すると同時に、学歴差別をなくさせること。大人が学歴差別を残したまま、子どもに無理をさせていては、明るい未来は見えてこないと思います。

それでは、どうしたら学歴社会がなくなるか。まずは就職の際に「学歴を聞かない」ということが大きな第一歩でしょう。では学歴以外に、何をもってその人を判断するのかということは、今すぐには難しいかもしれません。それでも、子どもが6歳で学校に入ったときから、22歳で大学を卒業するときをターゲットにして、毎日まわりと比べられ競争させられて生きるような環境から、負荷のかからない環境へと急いで整えたいところです。

そういう意味でも、学校はもっとゆるくても大丈夫だということに気づいてほしいです。

これから学校は、またコロナ以前に戻ってしまう?

学校の先生は、勉強を教えなくちゃいけない、人間関係もつくらなくちゃいけない、子どもたちの安全も管理しなくちゃいけない、いろいろなことを求められてもうパンク寸前です。思考停止状態になって日々の業務をこなすだけで精いっぱい、というのが現状ではないかと思います。

だからこそ、できることから効率化したらいいし、学校の先生が自分の仕事に誇りを持てるようになってほしいです。コロナによって、苦しいことが多かったけれど、授業のオンライン化が進んだことは、やはりメリットです。いずれこうなるだろうといわれてきたことが、ギュッと加速されて進んだのが、この1年半ほどの時間だったと思います。

これからワクチン接種率も上がってくると、またコロナ以前の状況に様々な面で戻るとは思います。それでも、コロナ以前から準備されてきたものについてはこのまま進むでしょう。長野県のイエナプランを導入した学校もそうだし、独自の教育コンセプトをもった私立学校ができたり、岐阜で始まった不登校指定校では子どもに寄り添ったプログラムができたり、といった動きです。子どもたちのペースに合わせた学校を作ろうという動きは、コロナ以前からあったんですよね。その動きが止まることはないでしょう。

オンライン授業がコロナ後どうなっていくのか、私も注目しています。すべての学校がすっかり変わるのはむずかしいかもしれないけれど、オンライン化が進むことは確実で、「このほうが効率いいよね」と気づいたことは徐々に広がっていくと思います。授業は受けたいけれど、もめている相手がいればその子の顔は見たくない、というときにもオンライン授業はいいはずです。

夏休みに入る=うれしい、ではない学校になってほしい

昔に比べて、不登校はそんなに珍しいことではなくなりましたが、それでも学校はこんなに嫌われなくてもいいでしょう。かつての「輝かしい希望の施設」に、もう一度学校はなれると私は思っています。学習のプログラムが選べる、学校に行く日が選べる、それだけでも変るはずです。

夏休みに入る前に、ホームルームで先生が「明日から夏休みです」と言うと、クラスがワーッと盛り上がるというシーンは、実は毎日通わなくていいフリースクールでは、一切ありません。いつだって来たいから来ているわけで、長期休みに入るというのは急な休業要請みたいなもの。「え? どうして来ちゃいけないの?」となるのです。

明日からお休みです、と言って喜ばれるというのは、ほんとは先生もつらいことではないでしょうか。そんなに嫌われなくても……、というところでしょう。

コロナの時期を経てわかったのは、人と人が会うのは楽しいことであり、それは永遠に変わらないということ。学校は、友だちと会うことができる場所、それだけで学校が持つ意味はとても大きいのです。そのことに気づいて、学校が勇気をもって変わっていってほしいなと思います。

まとめ & 実践 TIPS

コロナを経た私たちにとって、学校はどうしたら再び「輝かしい希望の施設」になれるのか。それは、学校の成績で人を評価する仕組み=学歴社会をやめることと同時に、学校が本来の役割に立ち返ることにあると石井さんは言います。それは、友人関係を育み、集団競技を楽しみ、子どもの安全ない場所であること。子どもがのびのびと未来に向けて育つために、学校は今、変わっていくことを求められています。

プロフィール


石井志昂

『不登校新聞』編集長。1982年生まれ。中学校受験を機に学校生活があわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、中学2年生から不登校。17歳から不登校新聞社の子ども若者編集部として活動。不登校新聞のスタッフとして創刊号からかかわり、2006年に編集長に就任。現在までに不登校や引きこもりの当事者、親、識者など、400名以上の取材を行っている。

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