<特別編> 大震災で考えた子育て[高校受験]

今回の東日本大震災をとおして、被災地以外のかたもこれからの「生き方」についていろいろ考えたことと思います。私も仕事柄、自分だったら生き方について生徒にどう語るかを考えました。普段とは少し異なる内容になりますが、今回はそのことをお伝えしたいと思います。

■多くの先生が生徒と校内に泊まり込んだ

大地震の当日、首都圏では部活や追試験などで登校していた生徒とともに、学校に宿泊した先生が大勢いました。私が知っている先生がたも、そのほとんどが自分や自分の家族のことよりも生徒の安全を第一に考えて行動していました。
3月11日以降、首都圏の学校でも学年末のスケジュールが変更になり、混乱が継続しました。3月上旬に卒業式を終えていたところはともかく、済んでいないところは卒業式を実施するか取りやめるか、先生がたの間でも意見が割れ、校長先生はつらい判断を迫られました。卒業生と保護者のみ集まって行ったところもあれば、中止し、卒業証書を郵送したところもあります。
その頃、私は何人かの校長先生とメールのやり取りをしました。その中でふと、自分が校長だったら、この卒業生たちに何を語りたいか、ということを考えました。そしてそれを、安田教育研究所が学校・塾向けに発行している『ビジョナリー』という冊子に載せました。
ここでいう卒業生は高校の卒業生ですから、皆さんのお子さまとは年齢が違いますが、「このような人に育ってほしい」という願いは、年齢に関係なく中学生についても思っています。お子さまの将来を思い浮かべながら、読んでいただけると幸いです。

■「2011年3月に卒業した君たちへ」

2011年3月、日本の戦後史に深く刻まれた年に高校を巣立つ君たち。卒業式もなかった年に、あっても自分たちだけで、送ってくれる在校生のいない中での卒業式であった年に、卒業した君たち。他の多くの世代が記憶をあいまいにしても、君たち自身は決してこの3月を生涯忘れることはないだろう。
テレビに映し出される被災地の模様、あってはならないはずの原子力発電所の爆発シーン……。そして、首都圏に住む君たちにも影響が及んだ交通事情、初めて聞いた「計画停電」。この3月は、普段の何十倍も色濃く、いろんな色が鮮烈にキャンバスに描かれた月であった。
それは目を覆いたくなるような光景というだけでなく、危険な業務に挑む仕事に対する責任感、被災地の人々が支え合う強いきずな、遠くに住む人たちからの温かな支援、世界はひとつと思えるうれしい感覚、海外から称賛される日本人の高潔な人間性……そして「買い占め」。君たちが目にしたキャンバスは、普通なら目にすることのない、人生の、人間性の濃厚な絵だ。1年先輩が目にしたものとも、1年後輩が目にするであろうものとも決定的に違う。
それを目にした君たちだからこそ、お願いしたい。今すぐでなくてもいい。大学を出たあとでも、社会人になって何年たってからでもいい。真に強くたくましい人間になり、弱い人を支援してほしい。今回のさまざまな場面で気が付いたことと思う。「偉い」ということは「地位」ではなく、その人が行った「行為」であることを。そしてもうひとつのお願いは、整った恵まれた環境ではなく、「荒野」をめざしてほしい、ということだ。
私はちっぽけな人間だが、君たちの3倍も生きてきた人間として一言アドバイスしたい。
人生の充実は、どこそこに所属したから得られるというものではなく、自分自身がどのような姿勢で向き合ったかで得られるものだ、ということを。


プロフィール


安田理

大手出版社で雑誌の編集長を務めた後、受験情報誌・教育書籍の企画・編集にあたる。教育情報プロジェクトを主宰、幅広く教育に関する調査・分析を行う。2002年、安田教育研究所を設立。講演・執筆・情報発信、セミナーの開催、コンサルティングなど幅広く活躍中。
安田教育研究所(http://www.yasudaken.com/)

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