「オリコン1位と同じくらいうれしかった」相川七瀬、45歳からの学びで見つけた新たな使命

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1995年、シンガーソングライターの織田哲郎氏がプロデュースしたシングル「夢見る少女じゃいられない」で鮮烈なデビューを果たした、歌手の相川七瀬さん(49)。

26歳で第一子を出産、3人の子育てと歌手活動を並行する中で、対馬に1300年以上前から伝わる伝統行事「赤米神事」に興味を持ったことをきっかけに、学び直しを決意。45歳で大学入学・49歳で大学院進学、現在は民俗学を専攻しながら日本各地の文化財の魅力を発信するフェローとしても活動されています。

50歳を目前に「自分の生き方を考えた」という相川さん。その中で見つけた、新たな使命をお聞きしました。

「手を抜かなかった」から自分を認められた

ーー大学進学後、3年生で成績優秀者に選出、卒業式では総代に選ばれましたよね。学び直すからにはトップをめざす! といった意識は入学当時からあったのですか?

いえいえ、まさか(笑)。2年生の成績をもとに3年生の春に成績優秀者に選出していただいたのですが、2年生の時は25周年のツアーの真っただ中で、ツアーにも勉強にも力を抜けなくて、本当にしんどかった思い出しかないです(笑)。

ーー想像できないお忙しさですが、なぜそこまでできたのですか?

周りからは「そこまでやる必要ないんだから、もっと手を抜けばいいのに」って言われたんですよね。もちろん歌うことは大事だし、25周年のツアーも大事。なのに寝ないでレポートを書いてしまうものだから、体調を崩したこともありました。

「どっちが大事なの? きちんと考えなさい」と言われて本当に耳が痛かったけれど、歌うことも学業も好きでそこにいるわけだから、両方手を抜きたくない自分もいたんですよね。

そういう気持ちでギリギリまで粘りに粘った結果、成績1位につながった。オリコン1位になった時と同じくらいうれしかったです。

ーーそこまで!

オリコン1位も成績優秀者への選出も、自分ががんばったことではあるけれど、他人の評価で選ばれることじゃないですか。私じゃない人に認めていただいた結果というのは、やはりうれしいものです。自分の選択や努力は、やりきったら認めてもらえるんだという励みにもなりましたしね。

どれも手を抜かなかった自分がいて、自分の成長につながった実感もありましたし、信じられない成績スコアだったので同時期に大学生だった長男が「えぐ! すごいじゃん!」って驚いてくれたのはうれしかったです。

3年迷った決断も、本当は不安だらけだった

ーー現在は大学院で民俗学を専攻されていますよね。「自分は何に興味があるのか?」は、どのように見つけたのでしょうか。

もともと、「よく好きなものを見つけるよね」と言われるタイプで、プロデューサーの織田哲郎さんからも「お前は昔から好奇心の塊だね。お前を老けさせないのはその好奇心だと思うよ」と言われていました。

今もちょうどツアーの最中なんですけど、大学院の合宿に参加したり、各地の文化財を見に行ったり、「この忙しいのになんでそんなに動けるの? 専用のジェット機持ってるの?」と言われるくらいの移動をしちゃってます。でも行きたいから「どうやったら行ける?」ばかりを探して、行っちゃうんですよね。

ーーツアー中にですか。すごい行動力ですね。

とはいえ、大学院の選考については、どの道を進んだらいいのかも踏まえて3年も悩みました。大学は神道の学部なので、順当にいけばそのまま神道系の大学院に行くことが多いのですが、大学での学びを経て、今の自分は何に興味があるのだろうとすごく迷って。

2年生の時からいろいろな専門分野の先生方にお会いしてお話しして、自分の興味の領域について、今後どういうことをやっていきたいか? を話して、「やっぱり神道だけではなく、民俗学だ」と見つけて願書を出しました。だけど、その時点でも、まだ迷っていました。本当にこれでいいんだろうか? と。

ーーこれだ! と見つけているわけではないし、選択の時にも迷っている?

そうですよ! でも私は、選択の場面ではどちらを選んでも両方を正解にしていくことを意識しているんです。

たとえば、今この部屋から出てもいいしとどまってもいいという選択があったとして、とどまったら「ここにいてよかった、皆さんに出会えた、おいしい紅茶が運ばれてきた」とかでいいし、出て行ったら出て行ったで「道端で人に会った、乗りたかった電車の1本前に乗れたから余裕を持って移動できた」って小さなことでもいいんです。とにかく、自分の選択を正解にしたい。

ーーその考え方は、どのように身に付けられたんですか?

デビューして30年近くたちますが、決して順調にきたわけではなくて。仕事がゼロの時もあって、また仕事がもらえるようになって、山あり谷あり。そう考えると、一つずつ丁寧に生きていきたいなと思うんです。

30代後半から特に、与えられた環境で自分はどうやっていくか? を考えることが次につながってくるのだなとわかりました。20~30代前半は人から与えられるチャンスで成長してきたけれど、30代後半からは自分でチャンスをつくっていくことで前進する感じがしたんです。その辺りからですね、すべての選択を正解にしていきたいなと思ったのは。

学んだことが、新たな興味・関心を呼ぶ

ーー個人的な学びに始まり、今は地域貢献・社会貢献と活動の視野が広がっている印象ですが、ご自身の中で、使命感の変化はありましたか?

学びの中で、関わっている地域に何か還元していきたいという気持ちはずっとあって、大学入学前から、学びのきっかけとなった「赤米神事」の保存などには取り組んできました。

でも、大学院に入ってからは、抱えられるんだろうか? というほど大きな責任を感じるものも多くて。文化財のフェローとして、この文化財をどう未来に残していくか? など、きちんと学んでいく中で、私には「自分がどう感じるか?」を世の中に代弁する役割を担っているのかもしれないと感じるようになりました。

文化財を守りたい人が困っていること、こうしたいという希望、PRしたいと思った時に、相川七瀬というメディアを使って、その魅力を発信していく、そういう役割。そうするとまちがった情報を伝えるわけにはいかないのでますますちゃんと学ぶ必要があり、私自身にもいい循環を生んでくれているなと感じます。

学びを通じて知ることで、その地域が好きになれる。もっと大きく言えば、日本という国が抱えてきた歴史や文化・信仰が面白いなあと思えるようになってきました。学べば学ぶほど、関心の幅はどんどん広がっています。

大学よりも大学院に入ってからのほうが学びのレベルも高くなっているし、自分が追い付こうと行動しないと追い付けないほど。背伸びしなければならない、たくさん知識を入れなきゃいけない苦しみもあるけれど、とても楽しいです。

(聞き手/文:飯室佐世子 写真:テラケイコ)

プロフィール

相川七瀬さん

1975年生まれ。大阪府出身。20歳「夢見る少女じゃいられない」でデビュー。人気絶頂の26歳で第一子を出産、現在23歳・17歳・12歳の3児の母。子育ても一段落した中で、歌手活動に加え大学での学び直しを決意。高卒認定を取得後、45歳で國學院大学に入学した。3年次には、成績優秀者として評価され、2024年卒業 第132期卒業生総代に選出。2024年からは國學院大学大学院に進学、民俗学を専攻している。

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