志望校の校風と教育方針 その3[中学受験]
志望校の校風と教育方針がわかりにくいのであれば、その校風と教育方針で育成した生徒が出した結果の大学合格実績でそれを評価することもできる。大学合格実績は志望校選定要素の一つだが、アンケートでは志望校選定要素の中で5、6番目に重視されている。最も重視されているのが「教育方針」で、2番が「校風」であるにもかかわらず、この二つの成果とも言える「大学合格実績」は選定順位が低すぎるのではないだろうか?
たしかに公表されている大学合格実績はわかりにくいという問題点がある。一つは、国公立大学は別として、私立大学は一人でいくつも合格した場合すべての合格大学が実績となる延べ人数での集計が一般的である。たとえば、延べ人数の合格実績と卒業生徒数から逆算すると、学年の中位以上の成績であれば難関大学に合格しているように見えても、現実は上位にいなければ難しい、というようなことが起こりうる。入学した大学で集計する進路先での大学合格実績を公表している学校もあるが、これは極めて少ない。
もう一つは、進路先の学部別合格実績を公表している学校が少ない点である。志望校の校風と教育方針の結果として、文系または理系学部に進学する生徒の割合を保護者としては知りたいところである。また文系の中でも社会科学系学部または人文系学部に進学する生徒の割合で、校風と教育方針の理解はしやすくなる。理系の学部でも同様である。進路先の学部別合格実績が公表されていれば、我が子の性格や資質から将来の我が子をイメージし、「我が子に合った学校」として志望校を絞りこんでいくことも可能になる。
志望校の大学合格実績がわかりにくいことは原因の一つかもしれないが、他にも原因がありそうだ。アンケートで保護者が大学合格実績を志望校選定要素として重視しないのは建前なのではないか?という意見がある。しかし、受験生の保護者からのアンケートは、趣旨としても建前を書く必要がなく、他の設問でも建前と思われる回答はない。よって、志望校の大学合格実績についての回答は、保護者の本音であると考えられる。保護者アンケートに問題がないとすれば、なぜこれほど志望校選定要素としての順位が低いのであろうか?
中学校入試の進路相談を行っている一人の保護者に、この疑問をぶつけてみた。保護者からは、「大学合格実績は重要な選択要素であるとは思いますが、私の考えている志望校・併願校の大学受験合格実績はそれほど違いません。ですから、大学合格実績は気にならないのです」という回答であった。志望校の学校ランクが同じならば、大学合格実績はほとんど変わらないので、志望校選定要素として重要視する必要もなくなるという、もっともなご意見であった。
たしかに公表されている大学合格実績はわかりにくいという問題点がある。一つは、国公立大学は別として、私立大学は一人でいくつも合格した場合すべての合格大学が実績となる延べ人数での集計が一般的である。たとえば、延べ人数の合格実績と卒業生徒数から逆算すると、学年の中位以上の成績であれば難関大学に合格しているように見えても、現実は上位にいなければ難しい、というようなことが起こりうる。入学した大学で集計する進路先での大学合格実績を公表している学校もあるが、これは極めて少ない。
もう一つは、進路先の学部別合格実績を公表している学校が少ない点である。志望校の校風と教育方針の結果として、文系または理系学部に進学する生徒の割合を保護者としては知りたいところである。また文系の中でも社会科学系学部または人文系学部に進学する生徒の割合で、校風と教育方針の理解はしやすくなる。理系の学部でも同様である。進路先の学部別合格実績が公表されていれば、我が子の性格や資質から将来の我が子をイメージし、「我が子に合った学校」として志望校を絞りこんでいくことも可能になる。
志望校の大学合格実績がわかりにくいことは原因の一つかもしれないが、他にも原因がありそうだ。アンケートで保護者が大学合格実績を志望校選定要素として重視しないのは建前なのではないか?という意見がある。しかし、受験生の保護者からのアンケートは、趣旨としても建前を書く必要がなく、他の設問でも建前と思われる回答はない。よって、志望校の大学合格実績についての回答は、保護者の本音であると考えられる。保護者アンケートに問題がないとすれば、なぜこれほど志望校選定要素としての順位が低いのであろうか?
中学校入試の進路相談を行っている一人の保護者に、この疑問をぶつけてみた。保護者からは、「大学合格実績は重要な選択要素であるとは思いますが、私の考えている志望校・併願校の大学受験合格実績はそれほど違いません。ですから、大学合格実績は気にならないのです」という回答であった。志望校の学校ランクが同じならば、大学合格実績はほとんど変わらないので、志望校選定要素として重要視する必要もなくなるという、もっともなご意見であった。