昭和22~25年の「自由研究」は、教科のひとつだった!?

楽しい夏休みも終わりに近づくにつれ、頭を悩ませるのが自由研究。実はその自由研究が、昔は小学校の教科のひとつだったことをご存じでしょうか?

自由研究は、民主主義を学ぶためのものだった

自由研究は、昭和22年(1947年)の『学習指導要領 一般編』において、教科として登場しました。そこには、「個人の興味と能力に応じた自由な学習」「クラブ活動」「当番や学級委員としての仕事」の3種類が含まれたようです。

さらに詳しく見ていくと、学校全体が参加する活動と、クラスにおける活動とに二分されました。学校全体の活動には、児童会などの学校自治会、児童のつくる諸委員会の活動…例えば新聞発行、購買部、図書館運営、運動場の管理などの委員会活動、児童集会、奉仕活動などがあります。クラスを単位とした活動としては、学級会、クラス内の係や委員会、クラブ活動などが挙げられます。

これらの活動を自由研究として、学校で行う目標は、民主的な生活様式を身につけさせるためでした。児童会の代表を選挙によって決定すること、選ばれた委員として責任をもつこと、地域社会への奉仕活動を行うことなどが、民主社会となった日本で生きていくためのいろいろな活動の練習になるとみなされていたのです。

このようにして自由研究が、学校における教育活動の一部として全国の学校で実施されるようになったことは、「教育の成果を従来の各学科の授業のみに求める」という教育方法を改変するために、大きな力となりました。戦後の新しい教育の一面を担うものとして、小学校での教育の進め方を啓蒙するために、自由研究が役立ったのです。

形は変わっても、「自由」の精神は続いている

しかし自由研究の導入は、多くの学校や教師に、「何をどう教えたらいいのか、どう進めたらいいのかがわからない」といった状況ももたらしました。そのため実際には「興味と能力に応じて、教科の学習をさらに深めるものである」という特色を最も強く示していたとされています。つまり、クラブ活動や委員会活動よりも、国語や算数などの教科学習を補充する時間にあてられていたようです。

このため、教科学習の時間と大差ない形をとった例も多かったので、昭和26年(1951年)7月1日の学習指導要領改訂のときに、自由研究の名称は「教科外活動の時間」と改められ、教科からは消えてしまいました。

とはいえ、形を変えて現在でも自由研究が残っている理由は、お子さまの興味や能力に応じた事柄を、ふだんの学校での学習内容にとらわれず、自由に経験・実践するためでしょう。残りの夏休み、ぜひお子さまと一緒に自由研究を楽しんでみてはいかがでしょうか。

参照:
『学校の戦後史』木村元 著(岩波新書)
『戦後日本の教育改革1 教育改革』海後宗臣 著(東京大学出版会)

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