史料を通じてさまざまな解釈を学ぶ世界史の授業
毎週のように学校を訪ね、たくさんの授業を見ています。そして、先生方から授業への想いを聞いています。
小学生から高校生、そして、先生や保護者のかたに役立つ教育番組を制作するためです。その中で、「こんな先生に教えてほしい」と思った先生方のことを書かせていただきます。
今回紹介するのは、熊本県の高校で世界史を教えるA先生の授業です。ちなみに、A先生が目指す授業は、生徒が「面白い」と感じ、卒業して何十年たっても、記憶に残っているものだそうです。
取材したのは、高校2年生が「モンゴル帝国の繁栄の理由」について考えていく授業です。年号や出来事、人名などを暗記することなく、残された史料を解釈して、自分なりの見方を育み、想像力を高めることが目標です。
授業は、先生と生徒のこんなやりとりから始まりました。
先生「歴史で、本当にあったことかどうかを調べるにはどうしたらいい?」
生徒「遺跡を発掘する」
生徒「インターネットで調べる」
先生「インターネットの情報は、本当にあてになる?」
生徒「……」
先生「教科書って断定的に書いてあるけど、なぜ、そのように書けると思う?」
<少し間が空いて……>
生徒「ちゃんと調べたから?」
先生「そう、調べたから。ただ、参考にした記録も書いた人の立場によって違うので、いちばん、確実に近いと思われることが書いてあるものだ、と思ったほうがいい」
先生は、生徒に「歴史を学ぶことで大切なのは、自分で解釈すること」というメッセージを少しずつ伝え始めたのです。授業の達人と呼ばれるかたの共通点は、教え込むのではなく、児童・生徒が気付くきっかけをつくることを大切にしている点です。児童や生徒たちの発見感や達成感をどうしたらつくれるかが授業の鍵と考えているからです。だから、先生は常にサポートに徹しています。つまり、授業の主役は子どもたちだからです。
授業は、いよいよ本題に入ります。モンゴル帝国が、世界を征服するまでになった謎に迫ります。日本から3,000キロメートル離れたモンゴル高原で、チンギス=ハンが建国したモンゴル帝国は、周囲を次々に支配し、13世紀末には、ユーラシア大陸の東西にまたがる大帝国となり、約150年間繁栄し続けます。その繁栄の謎を、資料を手がかりに解釈してみようというのです。
先生は、まず「元寇に注目しよう」と伝えました。
元寇とは、チンギス=ハンの孫フビライ=ハンが、モンゴル帝国の東側に元という国を作り、属国だった朝鮮半島の高麗とともに、2度にわたって鎌倉時代の日本に攻めてきたことです。
そして、先生は、用意していた系図を取り出し、「元寇は身近に感じられるんだ」と言いながら、系図の説明を始めました。そこには、先生の妻の先祖が、元寇で戦い、大将を討ち取ったり、討ち死にしたりしたことが記されていたのです。
元寇は、熊本県ではたびたびニュースに取り上げられる、生徒にとっても身近な話題だそうです。熊本には、元寇の資料が残っていて、その分析結果が取り上げられるとのことでした。
生徒が元寇を受け入れる準備が整ったのを見て、先生は、もうひとつ資料を取り出しました。熊本の武士が出ている「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」です。元寇に参加した肥後国(熊本県)の御家人竹崎季長(たけざきすえなが)が、自分の奮戦ぶりを子孫に伝えるために描かせたものです。そこには、元軍独特の手投げ弾「てつはう」や元の部隊のさまざまな武器や、色とりどりの衣装など、その様子が詳しく描かれています。
「この絵詞を見て、気付いたことは?」と問いかけると、生徒たちからは、次々と意見が出されました。
・戦い方が違う。日本側は一騎なのに対して、元は多数で戦っている
・竹崎季長だけ顔の色が白い。元軍に描かれた顔の色は、多種多様で、さまざまな民族が参加している
・太鼓やドラなどの楽器がある
・盾だけを持ち、防御に徹するだけの人もいる
・武器も刀ややりなどいろいろな種類があり、形が違う2種類の弓がある
これらの事実から、生徒たちは、元軍は、多数の民族を従え、しかも寄せ集めではなく、役割分担をして戦に来ていたと推測をしたのです。
ここで、先生は、問題と答えの選択肢を2つ投げかけます。
問題 「元は、多民族国家をなぜ維持できたのか?」
答え 選択肢(1) 有能な支配者がいて、軍事力で統制する軍事征服型国家だったから。
選択肢(2) 社会体制が整備された多民族協調型国家だったから。
再び、生徒たちは史料を探し始めました。
選択肢(1) の「軍事征服型」を選んだグループが注目したのは、次の点です。
・厳正な軍紀であるヤサ法が定められていた。
・食料の安定も目指し、強い軍事力で、農耕地帯の富に着目した。南宋を征服したのはその例。さらに、交易の確保を行った。
選択肢(2) 多民族協調型を選んだグループは、以下のようなことに注目しました。
・身分制度はあったが、商才にたけたムスリム商人やウイグル商人を活用するなど、征服した各民族の特徴を生かして人材活用していた。
・銀を価値基準に紙幣を発行していた。その結果、貿易が盛んになり、経済は安定し、豊かな文化が育った。
・服従させた国の文化を最大限に利用しながら、経済圏を拡張していった。
この2つの解釈は、どちらも間違っていません。そして、生徒たちは、1つの出来事にも複数の見方があることを実感して、授業は終了しました。
事実をつなぎあわせて、自らの想像力を広げる授業。高校生たちは、いつもと違う顔をしていました。
(筆者:桑山裕明)