「ネズミの気持ちになんてなれない!」 中学入試の国語問題の心情理解法は?
国語の問題を解く時、自分の考えを中心に書いてしまう……そんな子どもに悩む保護者からの相談に、平山入試研究所の小泉浩明氏が、鋭いアドバイスをくれた。
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【質問】
国語の物語文の心情を理解できません。自分の考えで解答を考えてしまい、問題作成者や筆者の立場で考えられません。このまま問題演習をさせても意味がないような気がします。国語の具体的な取り組みは、どのようにしたらいいのでしょうか。
【小泉先生のアドバイス】
問題作成者の立場で考えるのは、かなり難しいです。いくつも問題を作っている人、あるいはよほど問題を解き慣れている人でなければ、問題作成者の立場にはなれません。少なくとも、小学生には無理な注文だと思います。
筆者の立場になるのはどうでしょうか? 筆者が何か伝えたいことをひと言、ふた言で言い表せるのであれば、物語を書く必要はありません。また、読者の受け取り方はさまざまですから、作品によっては、いかようにも受け取れるような書き方で物語を終わらせる場合もあります。
登場人物の気持ちになるというのも難しいでしょう。いくらその人物に感情移入しても、それはその人物を通しての読者の気持ちのはずです。以前、ネズミが主人公の物語を読んでいた子どもに、登場人物の気持ちになって考えなさいと言ったら、「ネズミの気持ちになんかになれない!」と言われてしまったという保護者のかたがいました。確かに、その子の言うとおりだと思います。
ではどうすればよいのでしょう。たとえば、その登場人物が泣いていることをとらえるだけでも、「うれしい」「悲しい」「悔しい」「寂しい」など、プラスやマイナスのさまざまな感情があります。そこで、本文中に書かれている事柄で、登場人物はこういう気持ちであろうと想像するのです。さらに、出てきた推測は、他の人に「なぜ」なのかを説明してなるほどと納得させるものでなくてはだめです。他の人を納得させることができないとらえ方では、正解になることは難しいでしょう。
出典:国語の問題を、問題作成者や筆者の立場で考えられません[中学受験] -ベネッセ教育情報サイト