問題演習と完ぺき主義[中学受験合格言コラム]

たとえば子どもが社会を勉強する時を考えてみよう。塾で配布された教科書やプリントを読み、大事なところには線を引き、大切な言葉は「目で見て」「読んで」「それを耳で聞いて」「字に書いて」覚えることが重要である。人によってはそれを、自分なりにノートにまとめる場合もあると思う。
社会の歴史分野などを勉強していくと、非常に興味を持つようになる子どもも出てくる。いわゆる「歴史マニア」と呼ばれるほど細かな知識を集める場合もある。そこまでいけば社会の点数もかなり高得点を取れるようになるから、それは素晴らしいことであると思う。ただし注意してもらいたいのは、ノート作りに専念し過ぎてそれだけで満足している子どもがときどきいることだ。

理科にしても社会にしても、ノート作りは意外に楽しいものだ。教科書を読んでそれをまとめるのはそんなに苦しい作業ではないし、きれいな色など使ってまとめるとそれこそ楽しく「勉強したつもり」になれるからである。
しかし大切なのは、そうして作ったノートをどれだけ活用したかだが、意外に作ってそのままになっている子どもが多い。
私にも同じような思い出があるが、中間や期末テストで一生懸命作った単語カードが、結局作っただけでなかなか覚える暇が無かったという経験だ。それならば単語を紙に書き出して、端から書いて覚えたほうが良かったということなのである。
特に時間が足りなくなる6年生の後半からは、「美しいノート作り」よりもすべきことがある。教科書を読んで内容を理解・暗記したら、どんどん演習をしてもらいたいのである。

理解して覚えたと思っていても、違った形で質問されると答えられないことがある。これは一つの知識を多面的に理解しているのではなく、一対一対応で理解しているからだ。そんな理解の仕方は非常にもろく、しかもすぐに忘れやすい。多面的理解のためには、その知識に関するいろいろな演習問題を行うに限る。
問題演習ではその知識の他にも関連の事柄が問われることがあるが、それが良いのである。関連事項を理解することで、知識は点から線になり、やがて面になる。さらに全体的なことがわかってくると「立体的な理解」ということになるのだが、難関校ほど「面的」「立体的」理解が必要な問題を好んで出題してくるものである。

理解を深めるためには問題演習を行うことが良い方法であることを説明してきたが、ここでも「完ぺき主義」が悪さをする場合がある。つまり完ぺきに教科書を理解するまでは、「問題集」をやりたくないという気持ちが働く場合があるということだ。
教科書を読まなければもちろん知識は得られないので問題集をやる意味はないが、ある程度まで教科書を読みすすめたら恐れることなく問題演習に取り組んでほしい。そして今の時期なら、志望校の過去問に勇気をもって挑んでほしいということである。「もっと勉強してから」とか「もっとまとめてから」ということで、問題演習を一日伸ばしにしないことが重要であろう。

プロフィール


小泉浩明

桐朋中学・高校、慶応大学卒。米国にてMBA取得後、予備校や塾を開校。現在は平山入試研究所を設立、教材開発など教務研究に専念。著作に「まとめ これだけ!国語(森上教育研究所スキル研究会)」などがある。

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