【プログラミング教育】プログラミング「で」学ぶほうがいい

混乱が続いているため、すっかり忘れられているようでもありますが、本年度から小学校学習指導要領が全面的に切り替わり、小学校においてもプログラミングに関する学習が必修化されることになっています。とはいえ、4月から学校は長らく閉鎖されており、全くそれどころではありませんでした。6月末の時点のベネッセ調査によると、ほとんどの学校ではまだ取り組みが始められていないようです(注1)。今後、本来の学習内容を取り戻すことにあわせて、どのように新しい指導方針に対応していくかの対応も迫られています。今回は、保護者の皆さま向けに、今始まりつつあるこのプログラミング教育の概要について解説してみましょう。

プログラミング的な思考力?

小学生からプログラミング!と聞けば、けっこう攻めた取り組みだと思われがちです。ところが海外では、既に多くの国が小学校のカリキュラムに導入しています。どの国も次世代の人材育成に必死に取り組んでおり、日本の動きは遅いくらいです。
親の世代ではほとんど存在しなかった学習内容ですので、「授業内でプログラムを書くの?誰が教えられるの?」といろいろな疑問も湧いてくるでしょう。
まず、最初に、日本の場合は独立した教科が設置されるわけではありません。そうではなく、これまで行われてきている算数や理科、総合的な学習などの教科の単元の中で、プログラミングを取り入れた学習を計画的に実施しようとするものです。つまり、何かを学ぶときに、コンピューターに意図した処理を行わせるために必要な論理的思考力を身に付けることを狙っており、特定のプログラミング言語や技能を習得すること自体を目的とするものではありません。
文部科学省は、これを「プログラミング的思考」と呼んでいます。つまり、自分が意図した一連の活動を実現するために、どんな動きの組合せが必要なのか、一つひとつの動きに対応した記号を、どう組み合わせたらいいのか、記号の組合せをどう改善していけば、より意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力、と説明されています。

専門的スキルを「みんなのもの」にする考え方

似たような言葉に、「デザイン思考」というものもあります。10年ほど前からビジネス分野で普及していますのでご存じのかたも多いかと思いますが、デザイナーだけの特殊な能力と思われていたデザインを、誰でも学べる考え方の方法として捉え、広く問題発見や問題解決の中で使えるようにしたものです。なかなかうまくいかないことも多く賛否両論ですが、これまではブラックボックスとして扱われてきた創造性をひらき、みんなが使えるものにしようとしたことには大きな意義があったといえます。
「プログラミング的思考」と「デザイン思考」、この両者は狭義の専門的スキルを拡張した、≪その考え方をつかって何か別のことをする≫ものとして、同じような位置づけの概念として見ることができるでしょう。

独立した教科でないのはなぜか

大きなポイントは、「独立した教科ではない」ということです。文科省が作成した手引書でも、各教科の単元の中でプログラミングを取り入れ、情報活用能力の一つとしてプログラミング的な考え方を育成すると同時に、それによって各教科等での学びをより確実なものとするように、と強調されています(注2)。一言で言えば、プログラミングそれ自体を教えるのではなく、「手段」として使おう、ということです。
既存の教科の中に新しく学ぶ方法として取り入れていくのは、要するに二つのことを同時に学ぶことになるわけで、焦点がぼやけるのではないか、という意見もあるでしょう。ですが、私自身でここ数年、子どもたちにプログラミングを教える経験をしてみて、その方針は「正しい」と思います。
たとえば、あるコマを目的地まで動かすといったような、手順を分解していく計算のやり方(「アルゴリズム」と言います)であれば、基本的なものはそれほど難しいものではありません。やり方を学べば、多くの子どもたちが見よう見まねでできるはずです。そして分岐や繰り返し、変数を使って短く命令するのも、四則演算などの抽象的な数の概念が頭に入っている高学年であれば、なんとか達成できると思います。
ただし、そういったソースコードを書き、動かしてみたところで、多くの子どもたちにとっては、最初の物珍しさを越えてしまうと、それほど「面白くない」のです。私はその大きな理由は、二つあると考えています。

「面白い」と思えないのは

一つ目は、コンピューターがチカラを与えてくれるとしても、それは決して魔法ではないことを思い知るからでしょう。古くから「プログラムは思った通りには動かない。書いた通りに動く」と言われるように、それなりに頭を絞ることが要求されます。ものごとを抽象化して命令を表すことは、大人でも苦手な人が多いものです。
そして、二つ目は、コマを間違わずに動かせたところで、身近な日常生活につながることが実感できないからでしょう。動かし方は手段にすぎません。ワークシートや例題を用意し、お手本通りのことはできているとしても、ペーパーテストで点数をつけられて終わってしまうとすれば、それ以上発展させることは難しくなります。「そこから自分で何をしようとするか」「どんな時にどう役立てていけばよいか」を考え、実際に生活の中で使うことがない学習は、たくさんやらされたわりに実践で使うことができない英文法と同じで、無理やり教えたところで忘れ去られるだけです。

学習と実践のサイクルを回すためには

小学校で必修にするということは、一部の得意な子だけを対象とするのでなく、どんな子どもでも自分が学ぶ意味を見出す必要があります。そして、子どもたち自身と世界をつなげ、関わりを理解していくためのコンテンツこそ、これまで小学校で積み重ねられているそれぞれの教科です。
たとえば、ある小学校の優れた取り組みとして、5年生で正多角形の作図を学ぶ際に、Scratchを使って作図の手順を書いてみる授業が紹介されていますが(注3)、「どんなプログラムを書いたら正多角形が描けるかを考える」という点では、多角形の性質を学ぶという共通する目的につながっており、その目的を一段階深めることにプログラミングが役立てられていることがわかります。すなわち、それらを理解する「目的」と接続させて、プログラミング「で」深く学べるような工夫が大事だということです。
自分と外の世界をプログラミングでつなぐことができるならば、学習と実践のサイクルが自然に回り、自信をつけていくことができるでしょう。トライ&エラーは苦痛なものではなく、心から楽しめるものになるはずです。子どもたちができることを増やし、自分の手で未来を変えていくためにも、そんな「目的」と「手段」がうまく噛み合うような学びの機会を目指さなくてはなりません。

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注1)親子の生活における新型コロナウイルス影響調査
調査形式:インターネット調査
調査対象:全国 47 都道府県在住の約 3,500 世帯(1歳~高校 3 年生のお子さまがいる世帯)
調査実施時期:3/20頃~6/29頃の期間、毎週実施
ベネッセコーポレーション実施

注2)文部科学省 小学校プログラミング教育の手引(第二版)
https://www.mext.go.jp/content/20200214-mxt_jogai02-000004962_002.pdf

注3)小学校を中心としたプログラミング教育のポータル「正多角形をプログラムを使ってかこう(杉並区立西田小学校)」
https://miraino-manabi.jp/content/111

プロフィール


上平崇仁

1972年鹿児島県阿久根市生まれ。筑波大大学院芸術研究科修了。コペンハーゲンIT大学客員研究員等を経て、現在は専修大学ネットワーク情報学部教授。社会人向けデザインスクールでも教鞭をとる。専門は協働デザイン、情報デザインなど。著書に「情報デザインの教室」等(丸善出版)。

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