美術館デビューのススメ【第3回】当日編
「子どものうちに本物のアートに触れさせるとよい」と言われています。しかし、実際に美術館に連れて行くとなると、自分自身が行き慣れていないし、子どもが興味を持つかどうかも不安……というかたが多いのではないでしょうか。東京都美術館学芸員の稲庭彩和子さんに、子どもの美術館デビューについてお聞きしました。アートに触れて身に付く力についてのお伝えします。
全部見ようとせず、子どものペースに寄り添って
中高生向けプログラム「ティーンズ学芸員」(国立西洋美術館にて)
展覧会は「料理本」と似ています。よさそうな本だと思って買っても、繰り返し作るレシピは1、2品だったりするように、展覧会にも印象に残る作品が1、2点あれば十分。子どもは、作品が有名であろうがなかろうが、興味がなければ素通りしますし、好きな作品の前では長いこと立ち止まって見たりします。全部じっくり見てモトをとろうなどと考えず、子どものペースに最大限寄り添ってあげてください。
最低限知ってほしいマナーは「皆が大切にしているものを、大切に」
子どもに知っておいてほしいのは、美術館にあるのは「皆が大切にしているもの」だということ。子どもがはしゃぎすぎてしまうようなら「静かに見たい人もいるから、普段の半分の声でお話ししようね」と具体的に例を示して伝えてあげましょう。美術館で守るマナーは主に3つ。
(1) お話は小さな声で
(2) 大切なものに触らない
(3) 美術館の中では走らない
こうしたことは、行く前に伝えておくとよいと思います。
大人も、思ったことを正直に口にしてみる
保護者のかたも、感じたことをできるだけそのまま言葉にしてください。「なんだか変だね」でも「どうしてこの人、こんな不思議な格好をしているのかな」でもかまいません。そうすると、子どもも「言いたいことを言っていいんだ」と安心できます。
東京都美術館で「マウリッツハイス美術館展」を開催した時は、フェルメールの名作『真珠の耳飾りの少女』の前に多くの人が立ち止まり、さまざまなことを語っていました。「今にもしゃべりそう」「ずっとこっちを見ている」「何を言っているんだろう」……「別に美人じゃないんだね」と言っていた中学生もいました。
単なる絵が「名画」になるのは、どれだけの人が、どれだけのエネルギーをかけてその絵を見たかにかかっています。何か気になる、その絵について語りたくなる吸引力がある。いわば、「コメントがたくさん付く」「ツッコミどころの多い」絵が名画になるわけです。
子どもは言葉だけのコミュニケーションより、視覚的な情報のある「もの」を介したコミュニケーションのほうが得意です。人を引き寄せる力のあるアートという「もの」を目の前にして、自分の気持ちの針が動いた時、それを言葉にしてみることで、言語力も発達していくんですね。
視覚の体験の積み重ねが、観察力を高める
休館日の展示室で学校の授業を行う「スペシャル・マンデー」(東京都美術館にて)
作品を見ながら、子どもとゲーム感覚で「いちばんヘンなもの探し」「おうちに持って帰りたいもの探し」などをするのも楽しいと思います。「小人になって絵の中に入っていこう。何が見えるかな?」といった声かけで、子どもの想像力を刺激してあげるのもよいですね。大人がそばにいて、子どもの見方を「本当だ!」「なるほどね」と聞いてあげると、子どもは自分の見方に自信を持つようになります。
なお、美術は一般に「鑑賞する」、理科では「観察する」と言いますが、「ものを見て考える」という行為としては同じです。アートだから、ものを見るのに特別な感覚が必要というわけではありません。科学でも、観察してその奥にある事実を見極めるため、想像力は必要です。ものをよく見る体験を積み重ねていると、観察力も、想像力も高まっていくのです。これは野球の素振りを繰り返すと上達するのと同じことです。
多様な価値観に触れ、自分の「好き」を信じる力を育てる
美術館は、作り手と見る側のエネルギーが交錯するパワースポットのようなところです。見知らぬアーティストの作品に共感することもあれば、何千年も昔に作られた作品が、今、自分の目の前にある不思議さを感じることもあります。子どものうちに、古今東西の多様な価値観に触れ、自分の感覚で「何が好きか」を選んでよいのだと信じられる素地をつくることは、心の健康のためにも非常に大切なことだと思います。
現在、美術館を子どもたちに開かれた場にする試みが全国で進んでいます。
学校でもなく、家庭でもない、日常をちょっと離れられる「遊び場」として、ぜひ美術館を活用してください。