国技・相撲の成り立ち

白鵬関の通算優勝記録の更新や、遠藤関、逸ノ城関(いちのじょうぜき)たちの活躍で人気の大相撲。2012年4月から中学校の体育で男女ともに武道が必修になったことで身近に感じている人も多いのではないでしょうか。そこで、独特なしきたりや文化を持つ国技、相撲のルーツについてご紹介します。


大陸からやってきた

 相撲のルーツを一つに絞ることは不可能ですが、世界各国に相撲に似た格闘技の存在を示すものがあります。約4000年前の古代エジプトの王墓(おうぼ)には、二人の選手が腰をつかみ合い、足を掛けようとする現在の相撲にもよく似た絵画が残されています。また、中国の黄河下流域には後漢時代(約1800年前)の墓に描かれた格闘技の選手は髪を束ね腰に布を巻くなど、相撲のまわしと髷(まげ)にとてもよく似た格好で行われていたことがわかります。

 

 

どうして相撲界を「角界(かくかい)」と呼ぶ?

 「すもう」という言葉は「争う」「抵抗する」という意味の形容詞「すまふ」が由来とされています。「すまふ」の連用形「すまひ」が名詞になり漢語の「相撲」の表記が当てられ、かつては「スマイ」と発音されていました。

 

力士も「相撲人(すまいびと)」「相撲(すまい)」と呼ばれ「相撲(すもう)」となったのは室町時代から。江戸時代には「相撲」以外にも「角力」「角抵」などの字が当てられることもありました。

 

「角」には「すまふ」と同じく「争う、比べる」という意味がありこの字が使われそうです。相撲界のことを「角界」、相撲好きを「好角家(こうかくか)」という言葉で表現するのはこうした由来があるのです。

 

 

「すまひ」時代の姿

 では「すまひ」と呼ばれていた頃、いったいどのような様子で相撲の取り組みは行われていたのでしょうか。

 

いにしえの日本神話からその断片をうかがい知ることができます。『古事記』では「国譲り」という神話のなかに、タケミカヅチとタケミナカタの力比べで、お互いの手を取り合ってぶつけ合うという内容が記されています。

 

また、『日本書紀』には平安時代に相撲人を各地より集め相撲を天皇の前で取らせる「相撲節(すまいのせつ)」の起源になった神話があります。それは、ノミスクネがタイマノケハヤの腰を踏み破って殺してしまうというお話です。そこでは、互いに蹴りあうというキックボクシングのような戦いの様子が描かれています。ここではまだ、他人に見せるために形の定まったものではなく荒々しい格闘でした。奈良時代になると朝廷で各地から力自慢を集め、天皇や外国からの賓客(ひんきゃく)などに見せるようになるとようやく私たちの知っている相撲の型が出来上がっていくのです。

 

 

参考文献:新田一郎「相撲のひみつ」 朝日出版社

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