「普通」の定義について

「普通か普通ではないか?」という問いは、心の問題を対象にした場合は「障害があるか、ないか?」あるいは「正常か異常か?」という問いとほぼ同じ意味である。「私の子どもは普通でしょうか?」と保護者が質問する場合もほとんど同じ意味と考えてよい。しかし、「普通の定義とは何でしょうか?」あるいは「正常の定義は何でしょうか?」という問いに、正確に答えられる人はいないであろう。ここまでは正常であり、ここからは異常であるという境目があるわけではないし、はっきりと白黒をつけられるものではない。

そもそも人は簡単に特徴づけられる存在ではないし、時間の経過によって変わりうる存在である。最近の軽度発達障害(知的障害を伴わない発達上の問題を抱える子ども)などはその代表例である。知的水準に問題がないのに、友人関係がうまく結べず、行動上の問題を呈する、社会性の乏しい子どもである。うまく思春期を乗り越えれば成人になって独特の発想ですばらしい業績を残す可能性がある。たとえば芸術や研究で素晴らしい業績を残した人には軽度発達障害を疑われている例は少なくない。反面、思春期につまずいて社会からドロップアウトしてしまう可能性をもっている。ある時期までは大きな問題があったのに、ある時期からは目立たない存在になる場合も、その逆もありえる。生育期の環境や周囲の対応で大きく異なってくるのである。最近の考え方でいえば、障害は連続体(スペクトラム)であり、白黒分かれるのではなく、黒に近い灰色も白に近い灰色もある存在である。

そもそも「普通」「正常」という概念は、判断基準がなければならないが、誰が判断するかで大きく異なる。精神科を例にとると、「正常は、多数派の論理である」という考え方がある。この考え方に従えば、「社会性がないのを問題にする」のは、「社会性があるのが当たり前」とする前提がある。「幻覚や妄想がある人が多数であれば、幻覚や妄想のない人は普通ではなく、どうしたら幻覚や妄想が出るのか悩むことになる」という、たとえ話がある。人間には、「自分と異なる人や理解できない人を特別視して、排除しよう」という意識が存在すると考えられている。「中世の欧州で『魔女』として『火炙り』になった女性の中には精神障害者が含まれていた」という説がある。これが事実であるなら、まさしく理解できない存在を排除したことになる。「普通」「正常」という概念も多数派がつくった概念であり、時代の流れのなかで変貌している。まして環境や周囲の対応が変化するなら大きく変化する可能性をもっている。

プロフィール



東京都立梅ヶ丘病院院長。小児精神科医。著書に『AD/HDのすべてがわかる本』(講談社)、『子どもの心の病気がわかる本』(講談社)などがある。

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