本郷中学校1年生 A・Tさんのお母さま

まさかの連敗を経験することになった中学受験。大変だったからこそ得るものも大きかった。

実際の入試はどうでしたか?

とても大変でした。本郷は3回受験して、最後にくり上げで合格したのです。
1月はまず土佐塾を受験して特待生合格をいただき、次に20日に市川、22日に渋谷教育学園幕張と受験しました。土佐塾に合格した勢いで市川に臨みたかったのですが、当日は朝から体調が悪く、おなかが痛くなってしまいました。試験でもミスをしてしまったらしく、結果は不合格でした。どうも本番に弱いタイプなのです。
渋谷幕張中の入試の帰り道に、主人から市川不合格のメールが届き、本人は電車の中で一人ポツンと立ったまま、黙って窓から海を見ていましたね。
渋谷幕張中は、本人の第二志望校で、ためていたお小遣いを出して自分で過去問を購入したほどです。でも難関校ですから、ここは初めからチャレンジ校でしたが、結果は不合格でした。チャレンジと思っていたものの、2校続けて不合格という結果に、本人は相当落ち込んで、自信をなくしてしまったようでした。土佐塾の入学手続きはしていなかったので、「どうして手続きをしてくれなかったの」とごねたほどです。
でも、渋谷幕張の発表のあと、塾の先生と電話で話をして、「あこがれの開成に合格した先輩も渋谷幕張には落ちているし、本当に合格するべき学校はどこだ? 1日からの入試に集中しよう」と励ましてもらって、やっと少し落ち着いたようでした。
兄も1月の埼玉の受験に失敗していて、それから本気になって2月1日の試験で合格しているので、私はそれほど心配していませんでしたが、考えてみたら、埼玉は受験日が早いので、2月の本番までに時間があったのです。弟の場合は、不合格という結果から2月1日までに1週間もないので、本当の意味で立ち直ることができなかったのだと思います。そのまま武蔵の入試に突入してしまいました。

2月は1日に武蔵、2日は本郷に出願していました。また、もし2日に本郷に合格したら浅野を受験することにして、出願だけはしていました。浅野は兄のときから、私が気に入った学校でした。
本郷はなぜか気になって何度か見に行った学校で、不思議なのですが、行くたびにここに息子がいることがとても自然に思えたのです。
しかし結果は、1日の武蔵、2日の本郷と続けて不合格になってしまいました。本郷はインターネットでも発表するのですが、当日学校に発表を見に行くと、不合格の場合、得点と合否ラインを教えてくださるのです。息子は、12点足りなくて不合格でした。そこで、3日にもう一度本郷を受けたのですが、次はなんと1点足りなくて不合格。この結果に、慌てて芝の二次を4日に受験しました。3日の結果に本人は相当めげていたので、ここは盛り上げなくてはと思い、「お兄ちゃんも通っているし、芝中に行く運命だったのよ」と言い聞かせ、増上寺のお守りや、兄の制服のボタン、芝の合格鉛筆などすべてを持って試験に向かいました。
芝の発表は5日なので、5日にもう一度本郷を受験。このときも試験会場に塾の先生がたが応援に来てくださり、塾の先輩の本郷在校生も加わって、円陣を組んで送り出してもらったのですが、本人の気持ちはうわのそらのような感じでした。
息子が本郷の受験をしている間に私が芝の発表を見に行きましたが、不合格でした。芝は兄が通っているので、私にとっては自分の学校という意識が強く、兄よりもコツコツがんばっていた弟が不合格という結果に、最後の望みが断ちきられたようで、とても残念でしたし、初めて追い詰められた気持ちになりました。冷静になれば、兄のときより難しくなっていたし、2回目入試で条件が違うのですが。
そうはいっても後がないので、もしもの場合に備えて、塾の先生と相談して、ラストチャレンジで6日の攻玉社に出願してから本郷に迎えに行きました。芝を運命の学校だと盛り上げただけに、不合格を伝えたあとの二人で歩いた帰り道はつらいものでした。その場所を通ると、しばらくそのときの重い気持ちがよみがえりました。その後、3回目の本郷も不合格という結果が出ました。

攻玉社は、出願したものの受験させるか迷いました。ここまで不合格が続くと体力的にもきついし、精神的にもダメージが大きいですからね。ところが、本人が夜6時くらいに「過去問を買ってきて」と言うではありませんか。それから私が本屋まで買いに走り、その夜に解いていました。本人は何かが吹っきれたようで、「ここまで来たら最後までがんばる」と言いました。
当日の朝は私も緊張していたようで、まちがって改札口からいちばん遠い車両に乗ってしまっていたところ、隣に座っていたご婦人が「攻玉社の受験生でしょう。改札は反対ですよ」と教えてくださいました。それに、「息子が通っている学校です。がんばってね」と激励してくださったのです。「何かいいことあるかも」と本当にうれしかったですね。でも、6日の攻玉社は倍率も高く、これまででいちばん厳しい闘いです。正直合格できるとは思っていませんでした。

帰宅後は、やるだけのことはやった、これで終わりだと思いながらも、本郷はくり上げがあれば6日の午後に電話があると聞いていたので、落ち着かない気持ちで、本人もゲームをしながら待っていたら、電話が鳴りました。思わず、万歳三唱しましたね。
7日は、本郷の手続きをしたあと、家に電話をして攻玉社の結果を聞いてみると、主人が「合格しているから、すぐに見に行きなさい」と言うではありませんか。それまで合格発表で自分の番号を見ることができなかったので、さっそく見に行きました。感激してしばらく見入っていました。塾の先生も、「よくがんばった!」とほめてくださいました。
攻玉社の入試では国語を選択したのですが、聞き取りをしてから自由記述という特殊なテストなのです。ここで武蔵の対策が生きたのだと思います。人の話を集中してもらさず聞くような子どもではなかったのですが、いつの間にか、集中力と書く力がついていたのですね。そして、最後までがんばり通した。わが子ながら本当によくやったと思います。


お子さんにとって、この受験で得たものは何だと思いますか?

本当に大変な受験でしたが、最高の受験でした。なぜなら、受験を通して息子は本当に成長したと思うからです。
途中で精神的に崩れてもおかしくない状況で、最後までがんばって試験を受け続けた。この経験はこれから息子が困難にぶち当たったとき、あきらめないでがんばる力になると思います。しかも、これまでは気に入らないことがあると、すぐに「もういやだ」と言っていたのが、なんでも思いどおりにいくとは限らないのだということがわかるようになり、人間的に幅が出てきました。
息子は、塾の先生のことは本当に信頼していたのですが、実は小学校の担任の先生との相性が悪く、最後は学校にあまり行けなくなっていたのです。今は、多少いやなことがあっても、次に進む力に変えられるようになったと思います。


お母さまにとって、受験を通して得たものは何でしょうか?

子どものもっている力を信じきるということが、いかに難しく、でも大切かということがわかったことでしょうか。子どもの力というのは、単に合格する力ではありません。幸せな人生を歩む力をもっていると信じることです。私自身、「なるようになる」とか「運命だ」と前向きに考えられるほうだと思っていたのに、実際は信じきれなくなっていました。これからは、子どもの半歩後ろで、触れない程度に手を差し伸べて、支えていきたいと思っています。


  • 思い出の品

    先輩の合格体験記が載っている塾のパンフレット
    何度も読み返し、心の支えにした

    4年間の塾生活を共にしたリュックサック
    汗と涙と思い出が詰まっている


<取材後記>
本当に大変な受験を乗りきって、大きく成長したAさん。お二人のお子さんの受験を通して、親として子どもにどう向き合うかということを学んだお母さま。「最高の受験だった」という言葉に象徴されるように、受験が子どもの育ちの機会になるということを教えてくれた体験談でした。(教育ジャーナリスト 中曽根陽子)


プロフィール



教育ジャーナリスト、「登録スタッフ制企画編集会社<ワイワイネット>」代表。塾取材や学校長インタビュー経験が豊富。近著に『子どもがバケる学校を探せ! 中学校選びの新基準』(ダイヤモンド社)。

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