強い意思で不登校を決めた息子の姿が、自らの生き方を考え直すきっかけに。小沼 陽子さんが目指す新しい社会

  • 育児・子育て

息子さんの不登校をきっかけに、保護者としての苦悩と向き合いながら、地域や社会のなかで子どもたちや保護者たちの居場所づくりに取り組む活動を展開している小沼陽子さん。もともとは大手企業に勤務していた小沼さん、不登校のお子さんの確固とした「学校に行かない」という強い意志に出会って働き方、生き方について自ら問い直しました。
地域のつながりや多世代交流を促進し、「安心して暮らせる街づくり」を目指す小沼さんの活動とこれからへの思いをお聞きしました。

この記事のポイント

会社員からNPO立ち上げというキャリアチェンジには、不登校の子どもの存在が影響

— 小沼さんが代表を務めるNPO法人優タウンの活動について教えてください。

優タウンは学校に行かない選択をした子どもたちを地域で育て合い、どんな子にも優しい社会を願って日々活動をしています。また、2018年からは月1回、藤沢市で不登校に悩む親子が気軽に集える場として「朝cafe」を開催していていまして、おしゃべりしながらゆるくつながり合える、そんな場づくりも行っています。

もともと会社員だった私が優タウンを設立するに至った背景、きっかけに不登校になった息子の存在がとても影響しています。私自身は、学校がいやだった思い出はなく、友だちともよく遊んだりしていて、どちらかというと学校が好きでした。自分がそういうタイプだったので、息子が「学校に行かない」というのが、正直全然理解できなかったのです。

2024年から開始した「夜Cafe」は仕事をしながら不登校の子どもと向き合う親が集まる

息子は保育園の頃からそれはもう、切実に大変な思いをしていて、保育園に行きたくないという状況でした。当時は私も仕事が忙しかったのですが、夫も忙しかったことでほぼワンオペ状態。息子を保育園に連れて行こうとすると逃げてしまう毎日。そういうことがあまりにも続いて、もうどうにもならなくなってしまったのです。

結局、実家近くの湘南藤沢に引っ越すことを決意。息子が小学1年生の5月に転校しました。最初は学校に通っていたのですが、じょじょに行かなくなり、小学6年間は行ったり行かなかったりの日々が続きました。息子が不登校でものすごく大変なことがいろいろあったなかで、「学校に行きたくない」という息子の様子を見ているうちに、私の気持ちが変わっていきました。

子どもと向き合うなかで芽生えた「本当の教育」への疑問と自分の人生への問い

— 不登校のお子さんの姿が、小沼さんを刺激し始めたということですね。

 それからです。「いや、学校ってなんなんだろう?」と考えるようになったのは。子どもがこんなにいやがっているところに無理して連れていくことが、本当に子どもにとっていいことなのか?とか、教育ってそもそもこういうものなのかどうなのか?とか、頭から離れなくなりました。

それまで正直、教育について深く考えたこと自体がありませんでした。「学校に子どもが行ってくれれば、私が仕事を続けられる」といった程度だったのですが、初めてここで「教育ってなんなんだろう、子どもを苦しめることが本当に教育なのか?」という疑問を持つようになっていったのです。

次第にその問いは、さらには私自身への問いかけにもなり「なんで私は学校に行ったんだろう」とふり返ったりしていました。そのなかで、息子は自分の意思を持って「学校に行きたくない」ということを決めているけれども、私は学校に行く・行かないや、どんな仕事をするか?といったことなどを、それこそ自分の意思で決めたという意識があまりなかったということに気がついたのです。

仲間づくりを進め、いまでは多様な人たちが関わりを深めている

もちろん、受験や大学進学時はそれなりに大変でしたけど、高校1年で推薦入試を意識して対策したり、社会人になるには就職活動もがんばってそれなりに企業に勤めるなどもしてきました。ですが、そのなかで「自分で、自分の意思をもってなにかを決めてきたと言えるのだろうか」ということに行きついてしまい。これにはすごくショックを受けてしまいました。

「一体私はなんのために生きているのか」。生き方を見直し、新たなるスタートへ

— 「自分の意思で決める」ことを、ある意味で息子さんに教わったわけですね。

そうなんです。そのうちに息子が不登校であるとかは、だんだんとどうでもよくなってきて、「一体なんのために生きているんだろう」と、私は人生のことばかり考えるようになっていました。

当時の仕事も特に大きなトラブルはなかったものの、育休を取ったりしながらもこの先も続けていくべきか、迷い始めていました。子どもも不登校で苦しんでいるし、自分が辞めて寄り添った方がいいんじゃないかとか。

一方で、子どもに勉強を教えたり、母親が学校の先生みたいに指導するのは違うな、とも感じていました。ですから、「もう学校に行かなくてもいいし、元気で生きていてくれればそれだけで十分だ」と思うように気持ちが変化していきました。

子どもの姿をとおしてどう生きるべきか?に向き合うなかで、やがて「学校が合わない子どもたちが生きやすい社会に少しでも貢献したい」という気持ちが強くなり、結局仕事を辞める決断をしました。20年勤めた金融の営業職を辞めて、子どもたちの役に立てることに時間を使いたいと思ったのです。

優タウンでは子どもも保護者も地域のかたもゆるくつながれることが特徴

そう決意してからは、子どもと過ごす時間も増え、心に余裕ができたので、さらに他の子たちも元気になるようなことをしたい、と考えるようになっていきました。そのころには、自分の意思で生きたい気持ちも強くなっていましたから、そうなると仕事も自分で考えてやりたいと思うようになりました。ビジネス書を読んだりして、面白さも感じられるようになっていき、こうして、「少しずつ人生を変えていこう」と思ってから変化が起きていったように思います。

社会は簡単には変わらない。仲間が増え続けて「できることがある」と実感

— 会社員生活を終わらせるにあたって会社での反応はどうでしたか。

会社にいると、私は社会を良くしたい気持ちに突き動かされているのに、そういう話をすると、「実際には社会は簡単には変わらないし、子どもともっと一緒にいたほうがいい」といったことや、不登校を否定的に言われることが多かったんですよね。「自分の育て方が悪かったのかな」とも思うこともありながら、「いや、なにかがおかしいぞ」とモヤモヤする気持ちもぬぐい切れないでいました。

だんだんともうこれ以上話をしても理解されない気がして、社会を良くしたい気持ちはあったものの、会社では理想を口にしないようになっていました。だからこそ、会社を辞めてすぐ、とある社会起業塾の説明会に行きましたら、世界がすごく変わって見えました。

ずっと否定されていた自分の考えを受け入れてもらえたのがすごく嬉しくて、しかも思い描いていた構想を話したら「ぜひやってください」とも言ってもらえたのです。そこで私がプロジェクトを立ち上げてみたら、「一緒にやりたい」と賛同してくれる人がたくさんいたことに勇気をもらいました。リーダーをやるのも資料づくりも初めてでしたが、一生懸命やったらみんなが「やりたい」と言ってくれて、最後には賞までもらい、「私もこういうことができるんだ」と気づくことができたのです。

都心から離れた自然と触れ合える環境でのびのびと遊ぶ子どもたち

「もっと良い社会をつくりたい」。そのビジョンに対して、今のままでは「これからも子どもたちの未来は生きづらいものだろう」とも思わざるを得ない現状があります。それでも、「私も不登校経験者です」と言える子どもたちがこれだけ増えていく社会で、絶対になにかできることがあるはずだ、と考えています。

そのきっかけは、2017年にプロジェクトを立ち上げてメンバーと一緒に活動を始めたことです。塾のメンバーは東京と大阪の出身者だったのですが、地元の藤沢を拠点にすると、改めてだんだんと地元の仲間も増えていきました。そこで2023年からNPO法人化をして、現在の活動となっているのです。

後編では、社会を変えるためにまず、小沼さんが地域社会とどう関わっていったのか。また、保護者の心のケアや支え合うことについてお話いただきます。

プロフィール


小沼 陽子

茅ヶ崎市生まれ、藤沢市在住。中央大学文学部卒業後、1997年にオリックスグループに入社し、環境事業の立ち上げに参画。1998年に事業分社化に伴い、オリックス環境株式会社に出向し、創業メンバーとして渉外を担当。2004年に長男、2007年に長女を出産。長男の不登校を経験し、親子の孤立や社会の生きづらさを痛感。2016年にオリックス環境を退職し、大前研一氏の「一新塾」に入塾。2017年に「ホームスクーリングで輝くみらいタウンプロジェクト」を立ち上げ、2023年にNPO法人優タウンを設立。不登校をきっかけに、20年間勤めた会社を辞め、考え方や生き方を転換。孤立や苦しむ親子が生きやすい社会づくりに取り組む。藤沢市子ども・子育て会議市民委員、神奈川県立横浜明朋高等学校スクールメンターも務める。

不登校ライフナビ こどもの個性と未来をつなぐ
  • 育児・子育て

子育て・教育Q&A