残るもの、なくならないもの、なう。[おぐらなおみのもういちど受験なう。」~浪人・再チャレンジ編~]
++残るもの、なくならないもの、なう。++
このところ、浪人生(ムスメ)と在宅業(ワタシ)のふたりで、顔を合わせればいつも、
「足がむくんで痛いよね。」という話題でもちきりです。なぜなら、座りっぱなしだから。
浪人生は、朝8時から夜10時まで、椅子に腰掛け受験勉強をしています。
在宅業は、朝9時から夜11時まで、椅子に腰掛け仕事をしています。
……などと、まるで昔話のような表現ではありますが、追い詰められた母娘は、
運動不足、時間が足りない、こんな生活がいつまで続くのか、お肉食べたい、などなど、
不平や不満を口にしつつも、机の前から動きません。
浪人生活が始まった今年の4月を思い出すと、まあその時はその時で座りっぱなしでしたが、
今はやはり気合いが違う。
それはそれは渾身(こんしん)の「机の前から動かないこと、山の如し」です。
(まあ、ワタクシの在宅業に関しては、年末の忙しさという期間限定な座りっぱなしですが。)
本当に、浪人してわかったことは、「勉強しかしない生活があるのだなあ」ということだと、
ムスメがぽつりとつぶやいていましたが、そのとおりだと思います。
まったくもって勉強、それも「受験勉強」という、詰め込み型の、それほど知的好奇心が
満たされない感がある学習を、毎日毎日……。
この努力が「報われる」時があるとしたら、第一志望の大学合格という一点だけなわけで、
考えれば考えるほど、浪人生活ってつらいよな……としんみりしてしまいます。
それにしても、気付けばムスメの部屋は「浪人生御用達(ごようたし)」感が満載であります。
予備校のテキスト、志望校の赤本、受験生活には欠かせないけれど、受験が終われば
必要なくなるこの目の前のモノたちは、来年になったらきれいさっぱりなくなってしまうのか?
それはそれで一抹の寂しさが……とも思うのですが、
がんばった記憶とともに、知識として残っていってくれるのであれば、無駄ではあるまい。
……というか、10年20年経過したあとで、浪人生活の思い出を語りあうのも
それほど悪くはあるまいよ、と思ったりもするわけです。
「来年は絶対、このテキスト類をザーッと捨ててさっぱりする。」と宣言しているムスメと、
「テキストはなくなったけど、腹肉はなくならなかったね!」なんて語り合う未来。
いいような、悪いような。
いよいよ来月に迫ったセンター試験を前にして、その先の生活予想も現実味を帯びてきました。
がんばれムスメ! そしてすべての受験生の皆さん!
スッキリサッパリした未来が待っているよ!