母親と子ども
母親から離れられない子、こう考えてこう行動しました
3年保育で入園させ、友達との交流を積極的に作りました。
その当時の子どもの状況と私の気持ちはこうでした
「ちょっと離れられない」、というような生やさしい状況ではありませんでした。ママと片時も離れられず、休日にパパがいても、パパとお風呂にも入りたがらないし、買い物に行く時も、ママと一緒でなければだめでした。こうしたことはパパがとても忙しく、ほとんど父親不在状態だったことや、私の実家が遠く結婚してきたこちらの土地になじみがなく、友達がいなかったことが原因になっていたのだと思います。このようなやり方を取り入れたら、こんな効果がありました
三年保育で幼稚園に入れました。毎日、門のところで大泣きされ、私も身が引きちぎられるような思いでした。子どもが名前を覚えてきたお友達には、積極的に働きかけ、家を行き来して遊ばせ、また、お友達の家に行ってもママの膝から離れられない子でしたが、「来てください」と誘ってくださる方の家にはお邪魔させてもらううち、徐々に遊びの輪の中に入れるようになりました。ちょうど三歳の頃、幼稚園入園にあわせて、大規模マンションに引っ越しました。キッズルームがあったり、敷地内の公園には、いろんな年代の子どもが遊んでいたりしたので、毎日、積極的に外に出て、過ごさせるようにしました。結果的に、いろんな年代の子どもの顔を覚え、だんだん殻をやぶって遊ぶようになってきました。自分より小さい子どもが好きで、遊んであげたりするようになり、自信もついてきたのか、小さい子どもの中ではリーダーになって子ども達をひっぱって遊ぶようにもなりました。気がつくと、年上の子ども達とも対等にけんかしたりしながら、いまは楽しく遊べるようになりました。現在の子どもの様子と私の気持ちはこんな感じです
努力の甲斐あって、いまでは本当に元気になりました。幼稚園の先生の話では、年中くらいから本当に自分と気の合う友達を見つけられるそうです。年長の今では、ちゃんとグループがあって仲良しさんと毎日楽しく遊んでいるようです。マンション内には、いろんな友達がいて外に出ていて、ばったり会ったら、いろんな子と遊びます。子どもが遊べる友達がいっぱいいる今のマンションに越してきたことも、私にとっては大きな転機となりました。同じ悩みを持つおうちの方へのエール
ママから離れられないからママのそばにいさせてあげよう、というのも母の愛だと思います。でも、私のように外の世界の楽しさを知って欲しい、と切に願うのも子どもへの愛情です。幼稚園に入った時は皆泣く、と聞いてはいましたが、娘は、年中の夏くらいまで、ずーっと泣き続けました。でも、ただ連れて行くだけではなく、自分のできること、すなわち友達との交流を持たせるために、積極的に働きかけました。母親なりの精一杯のエールは、ちゃんと届いたように思います。- 母親になついてくれない子、こう考えてこう行動しました
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